「10人中7人がおいしい味」“創業50周年”日高屋会長が語る、生い立ちと創業の苦労
大手飲食チェーン店「熱烈中華食堂 日高屋」を展開している、中華料理チェーン売上2位の株式会社ハイデイ日高。コロナやインフレなど数々の厳しい局面を乗り越え、今年ついに創業50周年を迎えた。
――創業50周年、おめでとうございます。一代でハイデイ日高をここまで大きくされて、今の気持ちは?
神田正(以下、神田):あっという間でしたね。私には何もなかったらできたんです。裕福な家庭で育ったらここまで会社を大きくできなかった。神様って面白いですよね。何もない人にチャンスを与えてくれるんですから。
――ご両親の影響は大きかったんでしょうか?
神田:そうですね。終戦後、うちの親父は戦争から負傷して日本に帰ってきたんです。いわゆる「傷痍軍人」だったので働けず、代わりにおふくろが働きに出ていました。おふくろはたまたま近くにあったゴルフ場・霞ヶ関カンツリー倶楽部(埼玉県川越市)でキャディーとして働き、兄弟4人を養ってくれました。その後ろ姿は、私の人生に影響を与えてくれたんです。
本当に貧乏だったので、あれだけ苦労したらできないことはないんじゃないかっていうのは潜在意識としてありましたね。どんな高額な教育よりも、やっぱり修羅場をくぐった教育には勝てないですよ。そこが、自分の原点になっています。
――創業までいくつか仕事をされたそうですが、創業までの道のりを教えてください。
神田:私は好きな仕事じゃないとだめみたい。中学を卒業して当時二輪車の大手企業に勤めたことがあるけれど、私には合わなかったんです。正社員にもなりましたが、結局やめてしまいました。周りには当然「なぜあんないい会社辞めたんだ!」と言われましたね。
おふくろも少しがっかりしていたけれど「人生長いんだから好きなことやったほうがいいよ」、この一言に背中を押されました。今振り返ったら、辞めて本当によかったなと思います。
その後、いくつか仕事を転々として、友人が紹介してくれたラーメン屋が転機に。近所の市役所などに出前を届けたり、がむしゃらに働きました。ずっと貧乏だったので、現金が毎日入ってくる「現金商売」がいいと感じたんですよね。結局そのお店は売ってしまったけれど、その後に大宮市の貸店舗から「来々軒」の1店舗目を始めました。
創業者は神田正(かんだただし)代表取締役会長(82)。一代で築き上げた神田会長は笑顔を絶やさない温和な性格で、座右の銘は「感謝」。経営理念のひとつにも「感謝」を掲げており、「感謝の会」を開き、直接従業員に感謝を伝える機会を作るほど。神田会長の原点はどこにあるのだろうか? 生い立ちや創業までの道のり、信念などについて尋ねた。
「当時は貧乏だった…」会長の壮絶な生い立ち
「人生長いんだから…」母の一言が後押し
医療従事者として都内総合病院に勤務していたが、もともと興味のあったWebライティング業界に思い切って転身。大手メディアと業務委託契約を結び、時事ネタ・取材をメインに記事を執筆。中には450万PVを達成した記事も。ちなみに国内外問わず旅行が趣味で、アメリカ・オーストラリアで生活をした経験もあるバイリンガル。現在、海外移住計画中
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