ライフ

他人の失敗には“情報としての価値”がある。風俗店で窮地に陥ったおっさんの機転

おっさん2おっさんは二度死ぬ 2nd season

成功例からは学べない

 六本木、港区女子、ナイトプール、タワマン、ハリーウィンストン、華麗なる人脈etc.豪華絢爛に彩られたこれらの情報たちはまさに成功の象徴なのだろう。昨今のインターネット、特にSNSはこの「誰かの成功」が可視化されて届きやすくなった。  実のところ、これらの「成功」は情報としてその存在意義が偏っている。なぜなら、これは発信された時点でその役割の全てが終わっているのだ。発信者のみが成功を届けて満足しており、本来、受け取る側はその成功を真に受ける必要がないのだ。  もしそれらを自分の人生における指針として活用するつもりならば、人の成功ほどあてにならないものはない。本当に意味のないもので、僕らは人の失敗を指針にしていく必要があるのだ。成功にはなんら再現性がないが、失敗にはほぼ再現性があるからだ。  例えば、「脱サラして喫茶店を起業してみたらみるみる成長して店も増えて今や年商100億円」という本があったとしよう。そこに書かれている成功体験はほぼ再現性がない。タイミングだったり運だったり、謎の資金だったり、そういった多くの要素が絡み合い、同じことをしても同じ結果にならないからだ。俺も年商100億になるぞとこの種の本を購入してしまうのはまあまあセンスがない。  それ以上に「年商100億を目指して喫茶店を起業したら、あっというまに潰れて借金だけ残って尻の毛まで抜かれた話」の方が情報としての価値がある。同じことをするとだいたい同じような結果になる、それが失敗なので、失敗の方が情報としての価値が高いというわけだ。  そう言った意味では情報の受け取りにおいても、昨今のSNSでは発信においても、成功だけに注目してしまいがちだが、もっと強烈に失敗を意識しなくてはならない。  場外馬券場で知り合ったおっさんである高槻さんは、仕事を転々としている人だ。アルバイトみたいな仕事から派遣の仕事、たまに正社員めいた仕事、転職と、会う度になんらかの採用試験を抱えており、いつもその準備に余念がない人だ。 「こんどさ、面接があるのよ。面接練習してくれない?」  彼はいつも僕にそう要求してくるのだけど、そこまで仲良いわけではない人の面接練習なんて死ぬほどに面倒くさい。それでも無下にするわけにもいかないので、いつも近くの喫茶店で練習に付き合わされることになるのだ。

面接で「失敗談」を聞かれる理由

「これまでにやってしまった失敗について教えてください」  こちらもちょっと面接官ぶってかしこまった口調で質問する。  高槻さんはこの質問が苦手だった。志望動機やら自己PRなど、さすが数多くの採用面接を受けてきただけあってソツなくこなすのだけど、なぜかこの質問だけはいつもガチめの失敗談を繰り出してくる。 「前の職場での話なんですけど、少し寝坊をしてしまって遅れていくのもバツが悪いなと思ってそのまま休んだら大変な騒ぎになってしまいました。あれは失敗でしたね」 「発注のとき値段を1桁ほど間違えてしまい、怖くなってそのまま放置していたら大変なことになりました」 「上司の悪口をネットに書いていたら上司に見つかりました」  こういうガチめの救いようのない失敗談を繰り出してくる。もちろん、この失敗たちは完全に高槻さんがやべえ人物であることを物語っており、これだけで採用に至らないことは明白なのだけど、本質はもっと別の部分にある。  この種の失敗に関する質問の意図は、そんな失敗をするような奴はお断りだ!というものではなく、困難が生じたときにそれをどのようにして受け止め、どのようにして解決を図ったのかという部分を問いたいものなのだ。誰も失敗の経験自体をしりたいわけではなく、ましてや責めたいわけではない。  だから、本当のガチ失敗談を話すわけではなく、そこそこの失敗に、それを受け止める不屈の精神、そして前向きな解決策と、それをアピールするために設けられているのだ。
次のページ
質問の意図を理解できない高槻さんのコミュニケーション能力
1
2
3
テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


記事一覧へ
おすすめ記事