更新日:2023年09月01日 14:53
スポーツ

「ベイスターズファンの心理は、常勝球団ファンとは違う」チームと苦楽をともにした男たちが語る想い

30年の間に親会社が変わる“身売り”を2度も経験

1998年の遺伝子

佐々木と谷繁のバッテリー

 マルハ(現マルハニチロ)、TBS、ディー・エヌ・エー。30年の間に親会社が変わる“身売り”を2度も経験した川島に、最初の身売りはどう映ったのだろう。 「マルハからTBSになるとき(’02年)は、当時の部長から携帯に電話がかかってきた。『ヤス、身売りだ、でも雇用は守られるから安心してな』と言われました」  水産業からメディア産業へ。親会社が変わると、明らかな変化を感じたという。 「以前にも増してTBSでのテレビ露出が増えました。その年はサッカーの日韓ワールドカップがありましたが、ベイスターズのメディア露出はむしろ増えたんじゃないかと思ったくらいです」

「TBSが横浜にベイスターズを残してくれた」

 そんな川島は、TBSに大きな恩義を感じている。 「TBSが親会社だった’02年から’11年までの10年間は、最下位8度と低迷した時期で、一部のファンの間では“暗黒時代”とか揶揄されていますが、そうじゃない。TBSがベイスターズの地方移転を阻止してくれた。横浜にベイスターズを残してくれたんです」  TBSがDeNAに球団を譲渡する前年の’10年秋。巷にはベイスターズの住生活グループ(現・LIXIL)への身売り報道が溢れていた。TBSが掲げた絶対条件のひとつは、本拠地を横浜から移転させないことだった。  当時は東日本大震災の前で、北海道、仙台、福岡――の成功事例に見るプロ野球の地方拡散は球界のトレンドだった。インターネットのインフラ化が進み、地上波テレビ各局の売り上げは伸び悩んでいた。  TBSにとって20億円近いと言われていた赤字部門のベイスターズは、一刻も早く手放したかったはず。にもかかわらず、TBSは住生活グループが提唱する地方(当時の報道では新潟市)への移転を頑なに拒み続けた。
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特別ユニフォームを配布する「YOKOHAMA☆STAR NIGHT」が定着
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1973年、神奈川県生まれ。日大芸術学部卒業後の1997年、横浜ベイスターズに入社、通訳・広報を担当。'02年・新庄剛志の通訳としてMLBサンフランシスコ・ジャイアンツ、'03年ニューヨーク・メッツと契約。その後は通訳、ライター、実業家と幅広く活動。WBCは4大会連続通訳を担当。今回のWBCもメディア通訳を担当した。著書に『大谷翔平 二刀流』(扶桑社)ほか

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