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ベイスターズ主将・佐野恵太に出された代打…石井打撃コーチは「打順も守備も、固定できず申し訳ない」

「佐野の代打・楠本」を先に告げたのはベイスターズ

1998年の遺伝子

1998年、優勝当時の集合写真

 試合の記憶を辿りながら鈴木尚典打撃コーチは話す。 「あの場面(1死2・3塁で右の)浜地真澄投手に代わって左投手が出てくるのはわかっていた。打者心理としては……ネクスト(サークル)で準備をして、さぁいくぞ!と打席に向かう途中や、打席で足場をならしている最中に代打を送られると気持ちの面でショックはより大きいもの」  佐野への代打策についてはマスコミ、ファンの間でも喧々諤々の議論となった。タイガースの投手交代も想定されたあの場面で「佐野の代打・楠本」を先に告げたのはベイスターズだった。そして代打起用を見たタイガースは、定石通り左打者の楠本に左腕の島本浩也をぶつけてきた。 「いまウチのチームで、得点圏の代打の一番手は楠本。相手ピッチャーが誰であろうと、あそこは楠本。もちろん最終的な決断は三浦大輔監督ですが。  そのあと左の島本投手が出てきたけど、楠本に代打の代打を送る考えはない。だから阪神ベンチより先に佐野に代打を送った。もちろん佐野の心のケアも含めてね」(鈴木)

「オレが代打を送られたのはベテランになった後。でも恵太はまだバリバリ」

 超満員の横浜スタジアムの観客席は、佐野への代打を告げるアナウンスにどよめき、同様に記者席もざわついた。 「オレも代打を出されたことはあったし、相手がピッチャーを交代したあとで、代打の代打を送られたこともあった。ただオレと(佐野)恵太の違いは、オレが代打を送られたのはベテランになってからだけど彼はまだバリバリの中心。  思うことはいろいろあると思うけど、順風満帆できれいな野球人生なんてないんだから、こういうことは今後もきっとある。この悔しさをバネに、乗り越えてほしい」(鈴木)
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“マシンガン打線”こそがベイスターズの真骨頂だった
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1973年、神奈川県生まれ。日大芸術学部卒業後の1997年、横浜ベイスターズに入社、通訳・広報を担当。'02年・新庄剛志の通訳としてMLBサンフランシスコ・ジャイアンツ、'03年ニューヨーク・メッツと契約。その後は通訳、ライター、実業家と幅広く活動。WBCは4大会連続通訳を担当。今回のWBCもメディア通訳を担当した。著書に『大谷翔平 二刀流』(扶桑社)ほか

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