ライフ

不毛な奢り奢られ論争に終止符を打つため、おっさんがおっさんに奢られてみた。その悲惨な結末とは

おっさんは二度死ぬ 2nd season

おっさんたちの奢り奢られ論争

 さて、本日もインターネット空間においては「男女の奢り奢られ論争」が活況である。このテーマでの論争はインターネットにおいて周期的に巻き起こる。先日もとあるインフルエンサーの発言をもとになかなか盛大な炎が上がったばかりだ。  議論においては様々な意見が空中戦のごとく繰り出されるが、結局のところ、男は女に奢るべきだし、女は奢られたら感謝するべきだ、という部分に終始する。そしてほとんど結論は出ないまま、ちょっとした残り香と瓦礫、そして幾ばくかの遺体を残して議論が終わる。それはまるで夏の花火のようだ。  なぜかこの議論は何度となく繰り返されるので、おそらく僕らのDNAにそう刻み込まれているのだろう。  こういった論争の多くは完全に不毛なる議論に終始する。なぜなら、奢り奢られ論争に限らず、こういった問題はほとんどがケースバイケースであり、その場の状況を考慮しないことには何とも言えないからだ。それなのに、ほとんどの人が自分の考えるケースだけを想定して意見を述べる。だから結論は出ない。そして戦いは繰り返される。  また、奢り奢られに関しては特に男女論に終始しがちだ。男なんだから奢って当然、男らしくない、女は身綺麗にするのにお金がかかるんだから奢られるべき、などなどだ。こうなってしまうと完全に決着は諦めなくてはならない。

どうしてもその人と食事したいと思った側が奢ればいい

 こういった奢り奢られはあくまでもケースバイケースだと前置きしつつも、個人の意見を述べさせてもらうと、どうしてもこの人と飲みたい食事したいと思った方が奢ればいいのである。お互いが同じくらい飲みたいと思っているなら割り勘にすればいい。そこに男女はあまり関係ない。まあ、あらゆる状況がそれをさせないから、いつも諍いが起きているわけだ。  そんな奢り奢られ論争だが、だいたいの場面が、ラグジュアリーな港区やら、煌びやかな男女、夜景、シャンパン、そんなキラキラしたシーンを想定されて論じられることが多いが、今日はちょっと、本当に酷かったおっさんの奢り奢りられについて紹介したい。  今日取り上げるのは、パチンコ屋の石川さんだ。  若かった頃に、パチンコ屋でバイトをしたことがあった。そこには石川さんというおっさん社員がいて、彼は店の二階の寮に住み込みで働いていた。話を聞くと、住み込みのパチンコ屋を転々としながら全国で働いているようだった。  ある日、石川さんとけっこう仲良くなった僕は、お昼ご飯を奢ってもらいたくなったのだ。どうしても石川さんにお昼ご飯を奢ってもらいたかった。漠然とそんな気持ちになったのだ。  べつにお昼ご飯の代金が惜しかったわけではない。なんだか、奢られることが仲良しであることの証明、みたいに考えている節があったのだ。奢ってくれたのならば石川さんが僕に心を開いてくれたことになる、そう信じていたのだ。たぶん僕も若かったのだろう。
次のページ
しかし尋常じゃないケチだった石川さん
1
2
3
4
テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


記事一覧へ
おすすめ記事