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“40歳で余命宣告を受けた”ラッパーが語る死生観「余命5年はリアルだった」

「余命5年宣告」はリアルだった

――やはり現実感も湧かないようなところもあったんでしょうか? ダースレイダー:『余命1ヶ月の花嫁』的なドラマチックな感じもないし、余命宣告として5年って期間はなんかリアルだなと思いましたね。余命宣告の時にふと思い浮かんだのが、ア・トライブ・コールド・クエストのファイフ・ドーグ(2016年、糖尿病の合併症のため45歳で他界)で、40歳で余命5年の宣告はわりとキリがいいというか。 でも「ほっといたらいつか死ぬ」って皆そうだし、実は当たり前のことじゃないですか? 突然の交通事故や自然災害で余命5年とか告げられることもなく、今日明日亡くなる方もいる。だから、当たり前のことにやっと気づいたみたいな感覚もありました。 ――多くの日本人は自分が70歳、80歳くらいまではなんとなく生きる前提ではいますよね……。 ダースレイダー:逆に日々たくさんの人が自分や身近な人の死と直面していることに、なぜ自分は意識がいかなかったんだろうということを考えましたね。結局、自分にとって都合の良いものだけをずっと見ていたという話だと思うんですけど。脳梗塞で倒れるまで自分の体調からも目を逸らしていたのも、ある種の現実逃避だったわけです。

昔は“他者の死”が日常的だったが…

――ダースさんにはお子さんもいらっしゃいますし、現世に対する未練も当然たくさんあるのでは。 ダースレイダー:やりたいことは今もたくさんありますけど、未練というよりは今起こっていることを全力で楽しむ、そのありがたみを存分に味わうという構えに変わりました。いま上の子が中2で下の子が小2なんですけど、子どもとはよく一緒に遊ぶようにはしていますし、「いつまで一緒にいられるかわかんないよ」という話は日常的にするようにしています。 ――ダースさん的には死を過剰に忌避するような社会に、むしろ違和感や危うさを感じている面もあるんですかね。 ダースレイダー:コロナ禍でお葬式に集まれないという話に強い違和感を感じていましたね。僕が子どもの頃って、盛大な葬式がたくさん行われていて、他者の死に触れ合う機会も自然とけっこうあった気がするんです。それが改めて故人の人生に触れる機会にもなっていたんですよね。今の社会って葬儀も霊柩車も火葬場も、なるべく目立たないように、人目に触れないようなかたちが増えてきていると思うんですけど、それってちょっとマズいことなんじゃないのかなと。生きている人間が他者の死に触れる機会が少なくなったら、本当にただひっそりとい無くなるだけのような。死者の存在が残された人のその後の生に接続して、展開していくってことも起きないですもんね。
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現在の体調は「やっぱり良くはない」
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1988年生まれ道東出身、大学でミニコミ誌や商業誌のライターに。SPA! やサイゾー、キャリコネニュース、マイナビニュース、東洋経済オンラインなどでも執筆中。いろんな識者のお話をうかがったり、イベントにお邪魔したりするのが好き。毎月1日どこかで誰かと何かしら映画を観て飲む集会を開催。X(旧Twitter):@tsuitachiii

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