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「みんなで手をあげるやつ、今日はやめましょうか」星野源の“提言”にSNS上で賛否が分かれるワケ

日本人が馴染みやすい盛り上がり方が「手をあげる」なのではないか

 それはさておき、手を前後に振る動きが、自由ではないものの象徴として標的になってしまった格好です。確かに、あの光景は筆者も少し気味悪く感じます。なかには無表情で機械的に腕を動かしているだけの人も見かけるからです。心の底から楽しいという感情が爆発しているようには見えない。  だからといって抑圧的な雰囲気もありません。いやいややらされているわけでもなさそうだし、むしろ自然発生的に起こっているようにも見える。  だとすると、あれは日本人にとって馴染みやすい盛り上がり方なのではないかと思うのですね。見ず知らずの集団なのに統制が取れてしまう不思議なムーブ。

星野源の呼びかけとの“ズレ”

 筆者はそこに、星野源の呼びかけとのズレを見ます。星野の言う目に見えるわかりやすい形での感情の発露とは、じつは日本人にとってきゅうくつな方法なのではないかと思うからです。  そもそも、パーにした手を前後左右に動かすことが何を意味するのか、きっと誰にも説明できないでしょう。その動き自体に、特定のメッセージは込められていないのです。しかし、その無意味な動作をすること自体が目的となり、ミュージシャンにパワーを与えているかのごとき空気を醸し出している。  そうした状況に参画することにカタルシスを見出すのが日本人の特性なのではないかと思うのですね。
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「自由に」という要求が、そもそも自由ではない?
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音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

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