「ラブホで出演作品が流れて焦った」現役男優が振り返る“一般女性”と交際する難しさ
アダルトビデオ男優は影の仕事だ。青少年時代、「AV男優になりたい」などと軽はずみに口にする者は数多いれど、大多数は職業の深層を知ることもせず通り過ぎ、“一般社会”へ埋入していく。
上條のりよし氏は、フリーランスAV男優としてこの業界で20年以上前線に居続けるベテラン。軽やかな笑顔が印象に残る男性だ。上條氏へのインタビューを通して見えてきた、アダルトビデオ男優としての仕事の真髄とは――。
――アダルトビデオ男優になるまでの経緯を教えてください。
上條のりよし(以下、上條):最初は、有名になりたかったんですよね。高校を卒業して、地元を出て、大阪で暮らしていました。地元にいたころはバンドを組んで歌っていました。バンドももちろん楽しかったし、仕事も好きでした。スーツ着て仕事をするのに憧れてたのに、配属がそうじゃなくて半年で辞めちゃったこともありましたけど、総じて楽しかったですね(笑)。
もともと仲良くさせてもらっていた平本一穂さんの導きで、27歳のときにこの業界に入りました。平本さんは現在、AVメーカー「トップランナー」社長をしている人です。この業界に入ったのを機に、大阪を離れ、上京しました。
もともとそれまで過労で2回ほど入院していたんです。2度目に入院したときは意識が遠のいて病院で倒れてしまったんですよ。あとから医師に「上の血圧(収縮期血圧)が40mmHgで、危ない状態だったよ」と言われました。そうした経緯もあり、AV男優に転身することを決めました。
――「有名になりたい」理由は、何かあったのでしょうか。
上條:はっきりとは分からないんですが、昔から目立ちたがり屋でしたね。育った家が結構厳しくて、父から鉄拳制裁みたいなのがよくあった印象です。だから保育園のときはお友だちの家に泊まったりとかして、逃げてました(笑)。ひとりで居たくないという思いが強くて、寂しがり屋なのかもしれません。
――AV男優の仕事は過酷ではないですか。
上條:何を過酷と捉えるかにもよりますが、辛いことや厳しいことも多いです。反面、非常に居心地の良い現場も多く、人に恵まれているなと思うこともありますよ。
具体的な現場で心に残っているのは、15年以上前の話ですが、ビルの屋上での撮影ですね。コンクリートの上で裸になってプレイするわけですから、冷えるんです。想像よりかなり冷たく、きつい仕事でした。同じような時期に撮影したものとして、変わり種なのは、伐採した何本もの竹の上でプレイする作品がありました(笑)。女優さんも辛かったと思いますが、男優は膝立ちになるので、刺さるんですよね。痛かったです。
基本的にAV男優の仕事は楽しく、多いときは月に25本くらい撮影をしていたので、よほど過酷な現場ではないかぎり忘れてしまうのですが。
過労での入院を経て、男優への転身を決意
過酷ではあるが、「人に恵まれていた」
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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