初めての刺青は「中学時代」。離婚3回、4児のシングルマザーがたどり着いた“幸せ”の境地
平坦な人生はない。どんな人も「人生山あり谷あり」に違いないが、その起伏の程度に差はあろう。
刺青愛好家として活動する麗菜さん(41歳)ほど波乱に満ちた人生も珍しい。全身に彫られた、龍、朱雀、椿、毒蜘蛛、銭がま(蛙)、桜――そして、幼児の骸骨。その意味するところは、幼くして鬼籍に入った第一子だ。
亡き第一子を背中に刻み、“4児のシングルマザー”として活動する麗菜さんの半生に迫った。
麗菜さんの故郷は軽井沢町(長野県)にある。「中学校にはほとんど行かず、塗装屋で働いていました」と話す彼女だが、実家はかなりの敷地面積を有する豪邸だ。
「裕福な暮らしだったと思いますよ。祖父母の家で暮らしていましたが、家族で会話するのにも内線を使うくらい広い家でした。補助なし自転車の練習は、自宅の廊下が長いのでそこでやっていました。住み込みのお手伝いさんもいて学校の送り迎えをお願いしていたし、お金があるかないかで言えば、あったでしょうね」
金銭的に恵まれていた幼少期について話すとき、麗菜さんはなんだか浮かない。こんな思いがあるからだ。
「確かに家庭は裕福でしたが、親子の心の交流みたいなものは記憶する限りありませんでした。ぎゅっと抱きしめてもらったこともないし、『あなたが大切』と伝えられたこともないです。子どもにとって本当に必要だったのは、そういうことだと思うのですが。だから私は、小学生くらいのときにはもう、『この家を出たいな』と感じていました」
小学校の途中から神戸市に移住し、前述の通り中学校はほぼ登校せずに働いた。刺青を初めて彫ったのも、この頃だという。
「彫れる年齢ではないので、自分で針と墨を使って、いわゆる“イタズラ彫り”をしました。もともと父の背中に昇り龍が彫られていて、絵画をみるときのように『かっこいいな』と感じたんです。いまだにそうですが、親に対する感情は複雑で言葉にしにくいんですよね。人としては好きな部類ではありません(笑)。でも、放置されて育ったから今の私があるんだろうな、とは思います」
いわゆるお嬢様に違いないはずの麗菜さんは、その“放置”によって独自の人生を歩んだ。たとえば仕事と結婚という軸だけを抽出しても、紆余曲折に富む。
「中学生のときに年齢を誤魔化して塗装屋で働いて、卒業と同時に仕事で貯めたお金で一人暮らしを始めました。その後、偽ブランド品の売買や覚醒剤の使用などで少年鑑別所や少年院に入ったのが18歳のときです。出院後に、最初の旦那と結婚しました」
裕福だけど「この家を出たいな」と感じていた
初めて刺青を彫ったのは「中学時代」
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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