更新日:2024年07月09日 09:32
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都知事選3位で落選…蓮舫氏を“15年以上取材した記者”が、出馬表明の時点で「勝てない」と直感していた理由

「嫌われ役・恨まれ役」になりやすい立場だからこそ…

蓮舫

蓮舫氏を一躍有名にした事業仕分けの様子(2009年11月撮影:小川裕夫)

蓮舫候補は2004年に参議院議員に初当選して以来、常にスポットライトを浴びる存在でした。特に2009年の事業仕分けで話題を集めましたが、20年間という長い参議院議員生活ではほかにもたくさんの実績を残しています。 しかし、それはあくまでも15年以上も取材してきたから熟知しているだけで、世間一般では事業仕分けや行政改革というイメージが固定しています。
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行政刷新担当大臣として記者会見する蓮舫氏(2011年1月撮影:小川裕夫)

事業仕分けや行政改革が、非常に大変な仕事であることは理解しています。これまでの予算を無駄と断じて廃止すれば、それまで予算をつけてもらっていた人たちや部署からは恨みを買います。 誰もが必要な仕事と認識しながらも、他方で嫌われ役・恨まれ役になりやすい。それが行政改革であり、事業仕分けです。それが旗印の蓮舫候補が、無敵の強さを誇る現職の都知事に勝負を挑んでも勝てるはずがありません。
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民主党が実施した政策提言仕分けの仕分け人を務めた蓮舫氏(2011年11月撮影:小川裕夫)

それでも話題性抜群の蓮舫候補が出馬したことで、小池候補はステルス選挙に持ち込めなくなりました。なぜなら、テレビ・新聞、そして最近は特に訴求力を増しているインターネットニュースやYouTubeをはじめとする動画共有サイトなどによって蓮舫候補の動向が拡散され、それによって蓮舫候補の勢いが増せば情勢は大きく変わるからです。

結果は3位でも、蓮舫候補は功績を残した

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2014年の衆院選で、埼玉1区から出馬していた武正公一候補の応援に駆けつけた蓮舫氏(2014年12月撮影:小川裕夫)

結果的に、蓮舫候補は当選した小池候補どころか前安芸高田市長の石丸伸二候補にも及びませんでした。敗因は、選挙で協力した共産党のカラーを強く出してしまったために無党派層が離れたとか、政策面の準備が不足していた、インターネットを駆使できなかったなど、いくつか指摘されています。 敗因分析は今後に譲りますが、いずれにしても蓮舫候補が都知事選出馬を決めたことで、小池候補は街頭に出て支持を呼びかけざるを得なくなりました。小池候補が街頭に立ったことで、有権者は生の声を聞くことができました。それは、一票を投じる判断材料を増やしたことにもつながりました。蓮舫候補は「テレビで政策討論会を実施できなかった」ことを残念がっていましたが、少なからずステルス選挙に持ち込ませなかったことは蓮舫候補の功績といえます。 小池氏が街頭に出て2期8年間を総括する、まず手始めに街頭演説の場として選んだのが八丈島です。八丈島のような離島なら、つばさの党が追っかけてくる可能性は極めて低く、そうした思惑から八丈島を選んだという憶測も流れました。 しかし、小池候補は2016年の都知事選でも八丈島を訪れています。八丈島では地熱発電が取り組まれており、環境大臣経験者でもある小池候補にとって八丈島訪問は絶好のアピールの場になりました。また、選挙戦で離島を訪問することで「離島を見離さない」という政治的なメッセージを込めることもできます。 今回の八丈島訪問では、後者の離島を見離さないという意味が強く、それは翌日の奥多摩・青梅での街頭演説にも活かされています。八丈島から始まった小池候補の街頭演説は奥多摩、青梅、そして足立区北千住といった具合に少しずつ人の多い場所へと移っていきます。そこでは、つばさの党が街宣車で乗り付けるといった事態も起きました。
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「辞めろ」コールを行う人たちの正体は…
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フリーランスライター・カメラマン。1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーに。首相官邸で実施される首相会見にはフリーランスで唯一のカメラマンとしても参加し、官邸への出入りは10年超。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)などがある Twitter:@ogawahiro

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