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聖徳太子、実は「存在しなかった」説浮上。では、あの肖像画の人物は

「厩戸王」の呼称に批判殺到

『逆転した日本史~聖徳太子、坂本龍馬、鎖国が教科書から消える~』 文科省でも、こうした矛盾を少しでも解決しようと考えたようで、新しい小・中学校の学習指導要領では「聖徳太子」は死後の呼称なので、存命中の名・厩戸王を登場させ、中学校では「厩戸王( 聖徳太子)」、小学校では「聖徳太子( 厩戸王)」と表記すると発表した。2017年2月のことだ。  ところが翌月、文科省はこれを撤回する。これについて国民からパブリック・コメントを求めたところ、批判が殺到したからだ。 「しかしながら、近年、やはり聖徳太子は政治的に大きな力を持っていたという論文がいくつも発表され、太子の業績が再評価され始めています。今後、もしかすると高校日本史の教科書のほうが修正される可能性が出てきている。まさに歴史研究の面白さと言えます」

法隆寺に所蔵されていた聖徳太子蔵、本当は誰?

 聖徳太子は不在だったかもしれない……。とすると、法隆寺に所蔵されていた聖徳太子像と、お札にもなったあの有名な肖像画は誰なのだろう?  太子が初めて紙幣になったのは1930年のこと。高額の百円札だった。その後も続けて紙幣の肖像となり、1963年に伊藤博文が千円札の肖像に採用されるまで、紙幣4種のうち3つが聖徳太子だった。まさに聖徳太子がお札の代名詞だったことがわかる。  初めて紙幣に使用した太子の原画は、大蔵省造幣局図案官の磯部忠一氏が描いたもの。宮内省所蔵の「唐本御影(とうほんみえい)(聖徳太子二王子像)」を参考に、歴史家や服飾家の意見を聞きながら絵を完成させたという。  以後、お札に登場する太子像はすべて、この原画がお手本とされることになった。  
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高校の日本史の教科書から消えた「聖徳太子像」
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歴史作家、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。 1965 年、東京都生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。歴史書籍の執筆、監修のほか、講演やテレビ出演も精力的にこなす。『教科書に載せたい日本史、載らない日本史』『日本史の裏側』『殿様は「明治」をどう生きたのか』シリーズ(小社刊)、『歴史の真相が見えてくる 旅する日本史』(青春新書)、『絵と写真でわかる へぇ~ ! びっくり! 日本史探検』(祥伝社黄金文庫)など著書多数。初の小説『窮鼠の一矢』(新泉社)を2017 年に上梓。

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