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聖徳太子、実は「存在しなかった」説浮上。では、あの肖像画の人物は

高校の日本史の教科書から消えた「聖徳太子像」

『逆転した日本史~聖徳太子、坂本龍馬、鎖国が教科書から消える~』「原画のもとになった『唐本御影』は、もともと法隆寺に所蔵されていた絵画でしたが、明治時代に皇室に寄贈されました。  寺側の伝承では、画中三人の真ん中が聖徳太子本人だといいます。このため、昔の教科書では『唐本御影』を『聖徳太子像』と紹介していました。  しかし最近は、高校の日本史の教科書からこの像は消え、中学校の歴史教科書も『聖徳太子(574~622)と伝えられる肖像画』(『新編新しい社会 歴史』東京書籍2017年)と、かなり自信なさげな言い方になっています。  なぜなら、『唐本御影』に描かれたこの人物が、太子本人であるかどうか、かなり怪しいと考えられるようになったからです」  きっかけは、東京大学名誉教授で仏教史に詳しい故・今枝愛真(あいしん)氏が、1982年の朝日新聞紙上に「『唐本御影』はかつては川原寺にあったもので、聖徳太子の肖像として描いたという蓋然性は少ない」と発表したのがきっかけだった。  これについては反発する声も大きかった。

聖徳太子は「あの肖像」の姿ではなかったのかも

 ただ、追手門学院大学教授の武田佐知子氏は、その著書『信仰の王権 聖徳太子』(中公新書)で、絵のモデルは太子以外に考えにくいとしつつも、「唐本御影」は八世紀半ば(奈良時代)に描かれたものだと論じた。  その根拠は、肖像の人物が身につけている服や冠が、太子時代よりずっとあとのもので、とくに手に持っている笏(しゃく)は、まだ一般的ではなかったからだとする。 「これが事実であれば、少なくとも太子が亡くなってから百年以上経って描かれたのが『唐本御影』ということになります。写真もビデオもない時代ですから、おそらくこの肖像は、実際の太子本人の姿とまったく違ってしまっているでしょう。  けれど、あの肖像の容貌こそが聖徳太子だと信じて疑わなかった私にとって、死後百年後に描かれ、似ていない可能性が高いというのは、なんとなく気落ちしてしまうものです」 文/河合 敦 構成/日刊SPA!編集部
歴史作家、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。 1965 年、東京都生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。歴史書籍の執筆、監修のほか、講演やテレビ出演も精力的にこなす。『教科書に載せたい日本史、載らない日本史』『日本史の裏側』『殿様は「明治」をどう生きたのか』シリーズ(小社刊)、『歴史の真相が見えてくる 旅する日本史』(青春新書)、『絵と写真でわかる へぇ~ ! びっくり! 日本史探検』(祥伝社黄金文庫)など著書多数。初の小説『窮鼠の一矢』(新泉社)を2017 年に上梓。
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