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モロニー戦でも物議…那須川天心が「なぜか批判される」理由は?“二面性”が“悪い意味でのギャップ”と捉えられることも

なぜ那須川天心はここまで叩かれている?

 とはいえ、アウトボクシングでポイントを重ねるスタイルは正当な戦術、戦略です。それ自体に批判されるべき点は何もありません。  にもかかわらず、なぜ那須川天心はここまで叩かれているのでしょうか?  それは、キックボクシングや総合格闘技で築き上げてきたエンターテイナーの資質に、プロボクサーとしての実績、試合内容、経験値が追いついていないからなのだと思います。  つまり、天心は試合よりもインタビューのほうが面白すぎるのです。  たとえば、モロニー戦前の共同会見では、「今、世の中的に良いニュースがない」とか「ヒーローがいない」と、大きな視点から自らのビジョンを語っていました。また、「自分には自分がついている」と忌野清志郎の歌詞を引用してスポーツ新聞の見出しになるようなフレーズも残すあたり、これまでのプロボクシング界にはなかったボキャブラリーの持ち主です。

“エンターテイナー那須川天心”と“ボクサー那須川天心”のイメージのズレ

 ところが、この言葉の押し出しの強さと、相手をかわして待ち受けながらパンチを引っ掛けていくようなファイトスタイルが一致しない。なぜなら、天心の言う「ヒーロー」をボクシングで体現するなら、自ら仕掛けて強いパンチを打ち込んでKOする姿を期待するのが自然だからです。  けれども、天心のスタイルは、それに反してとことんクールなのです。タイミングと角度があえば相手を倒す力は持ち合わせているけれども、それは門外漢にもわかりやすい“強さ”として表現されるのではなく、玄人ウケする技術として分析される類のものなのですね。  今回のネット上の批判意見と、プロや専門家が天心を評価する見立てが大きく乖離していることからも、それがよく分かるのではないでしょうか。  そこに、“エンターテイナー那須川天心”と“ボクサー那須川天心”のイメージのズレが生じるのです。記者会見やインタビューではいかにも派手なKOを見せてくれそうな発言を連発するのだけど、実際の試合は渋い。悪い意味でのギャップが、どこか消化不良に感じてしまうのですね。  とはいえ、キャリア6戦目にして元世界王者をポイントアウトした格闘センスは誰もが認めるところ。いまのスタイルを進化させていくのか、はたまたそれに加えて相手を倒すパワーショットを身につけてアンチを黙らせるのか。  世界タイトルマッチで、その答えが見られるのでしょう。 文/石黒隆之
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試合の感想をポストした那須川天心
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音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

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