「興味ない」は大人の厨二病。ネット上でもスナックでも嫌われる“酸っぱい葡萄な男”たち
東京の上野でスナックを営む大谷麻稀です。会社員を辞め、未経験の水商売で独立してから早2年。日本屈指の飲み屋街で、昼も夜もさまざまな人間模様を見てきた私が、今夜のお酒がちょっぴり美味しくなるコラムをお届けします。
水商売の話が出れば、「そんなところに行く人の気が知れない、興味ない」
芸能人の訃報ニュースが流れれば、「知らない。誰? 興味ない」
なぜ、わざわざ「興味ない」ことを声高らかに主張してしまうのか。心の内で思っていればいいものを、なぜヤフコメやX(旧Twitter)に書き込んで「お気持ち表明」してしまうのか……。今回はそうした人たちについて思うことを書いていきます。
私自身、幅広い分野に関心があるタイプではありません。エンタメについての知識も少ないですし、これといった趣味もありません。美容にも無関心。人生通して「推し」がいたこともありません。
でもわざわざ、「幼児向け番組なんて興味ない」なんて主張したことも、「誰この人? 知らない人が死んだとかどうでもいい」なんてYahoo!ニュースにコメントしたことも、「デパコスなんて興味ない、金の無駄!」なんてX(旧Twitter)で引用リツイートしたこともありません。
人の興味は様々で、興味がないジャンルが存在することは当たり前です。しかし、どうして興味のない話に自ら首を突っ込んで、声高らかに、意気揚々と、でっかい声で、「興味ない」と自己主張してしまう人がいるのか。「興味がないこと」と、「興味がないことを“わざわざ”主張すること」は、まったくもって違うことのように感じます。
そもそも「興味ない」という発言は、中立な立場のように見えて、わざわざ宣言する時点で、だいぶネガティブな行動に思います。興味ないことは話題にしない、わざわざ口を突っ込まない人が多いからです。誰からも攻撃されてない(そもそも対象とも認識されていない)のに、わざわざ自分から「俺はここにいるよ! 俺の意見を聞いてくれ!」と姿を現し、攻撃しにいく言葉のように聞こえます。
誰かの好きを否定することは、誰も幸せになりません。それなのに何故してしまうのか……それはきっと、「興味ない」ことで、「誰かが高評価をする対象物を、低評価する自分は、高評価する人よりも格上」と主張したいのではないでしょうか。それはまるで、イソップ寓話の「酸っぱい葡萄」のようです
そこまでの意識がなかったとしても、「興味がない」ことがアイデンティティで、「カッコいい」ことだと思っている。さらには、「他の人が興奮・熱中できるものを、冷めた目で俯瞰できる俺」というポジションを築きたいのではないか、と想像します。
そして、これは彼らにとってステータスであると同時に、世間一般からみると一種の厨二病とも言えるのではないでしょうか。Googleで「厨二病とは」と検索すると、AIによる概要で、「自分が特別な存在であるという根拠のない思い込み」という記述が。
「自分をよく見せるための背伸びや、自己顕示欲と劣等感を交錯させたひねくれた物言い」と解説されていましたーーそうか、「興味ない」は劣等感だったのか。

大谷麻稀
わざわざ「興味ない」と投稿する意味がわからない
「興味ない」は劣等感だった?
上野にてスナックを経営する28歳。大好きなお酒にコミットするべく鉄道会社を退職し、ほぼ未経験の世界へ転身。TOEIC910取得。趣味は海外一人旅。
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