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ここから先は、運命です【荻窪駅 ・邪宗門(喫茶店)】/カツセマサヒコ

ただ東京で生まれたというだけで何かを期待されるか、どこかを軽蔑されてきた気がする――そんな小説家カツセマサヒコが“アウェイな東京”に馴染むべくさまざまな店を訪ねては狼狽える冒険エッセイがスタート。願いは今日も「すこしドラマになってくれ」

ここから先は、運命です【荻窪駅 ・邪宗門(喫茶店)】

小学4年のときに、クラスメイトの女子に恋をした。 祝日の関係で学校が3連休に入れば、好きな子に3日も会えないことをただただつまらなく思った。 ある連休初日、親に連れられて街へ出ると、たまたまそのクラスメイトと遭遇することがあった。一度だけでも十分浮かれたのに、同じことが3日連続で続いたので、浮かれきった。 単純な私は、もう偶然じゃなく、ここから先は運命ですと、恋の神様に言われた気がした。 小学生の恋なんて吹けば飛ぶほど軽いもので、その人とは結局お付き合いすることなく今に至るけれど、じゃあどうしてそんな古い記憶を持ち出したかというと、今いる喫茶店の壁に、小学生が書いたような相合傘のラクガキがあって、そこに彼女と同じ名前を偶然発見したからである。 東京都杉並区。JR荻窪駅の北口から、徒歩1分。古い商店街の小さなアーケードの中にこの喫茶店「邪宗門」はある。 忙しなく生きていると見逃してしまいそうな小さな看板に、「お急ぎの方は入店禁止」と手書きの貼り紙まである入り口。チェーン店慣れした私のような人間をふるいにかけるハードルの高さに目がくらんだ。 恐る恐る扉を開けると、非常に狭い店内に驚く。ひとり戸惑っていると、小さなカウンターから、男性店員が顔を出した。 「そちらのメニューからご注文をお願いします。そのあと2階のお好きな席へどうぞ」 言われてみると、左手に、人ひとり通るのがやっとの、狭くて急な階段が見える。使い込まれたメニュー表から、ルシアンコーヒーという見慣れない飲み物を頼んで、階段を上る。天井の高い屋根裏のような、こぢんまりとした空間がある。不揃いのペンダントライトと古い雑貨、たくさんの古書に囲まれて、4人掛けのテーブル席が5つほど置かれている。古い掛け時計はあちらこちらにぶら下がっているけれど、そのすべてが止まっている。 そして、私の座った席のすぐ横の壁に、例のラクガキがある。治安の悪い街の公共トイレの個室の壁のように大量に彫られたラクガキの中に、幼少期の恋が潜んでいる。 20分ほどたって、先ほどの男性店員がルシアンコーヒーを持ってきてくれた。ホットコーヒーとココアを混ぜたその上に、冷たいホイップクリームが載っている。美味い。 「え、あれ、田中さんじゃない?」  ふと小さく声が聞こえて、顔を上げる。私の5分後くらいに入店した男女が、店の奥を見ている。 「うわ、本当に田中さんだ。ちょっと、田中さん」 「え、うわ! なんで?」 「わー、お久しぶりです!」 「久しぶりー。びっくりしたー。え、なんでここに?」 「いやー、たまたま寄って」 「まじ? 俺もだよ。偶然すぎるね」 「すごいですそれ。わー、10年ぶりくらいじゃないですか、元気してました?」 どうやら、たまたまこの店を選んだ2組の客が、知り合い同士だったらしい。 こんな個性的な店で10年ぶりの再会だなんて、ちょっとそれは、偶然と呼ぶにはもったいない気がしてくる。 再会を盗み見しながら、横に積まれた本を一冊手に取る。レトロな喫茶店を特集した単行本の中に、この店もしっかりと掲載されている。どうやらマジシャンが始めた店なのだと知って、はー、あの再会も、マジックとやらですか、と勝手にニヤつく。 再びコーヒーを啜る。やっぱり美味い。偶然よりも、運命的に美味く感じる。
カツセマサヒコ

挿絵/小指

1986年、東京都生まれ。小説家。『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。そのほか著書に『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)などがある。好きなチェーン店は「味の民芸」「てんや」「珈琲館」
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