更新日:2025年04月04日 17:27
エンタメ

朝ドラ『あんぱん』と大物アーティストの主題歌が「ミスマッチ」の声多数。違和感を覚える二つの理由

やなせたかしと野田洋次郎の思想の違い

 次に、やなせたかしと野田洋次郎の思想の違いについて。  RADWIMPSは、<この身体に流れゆくは 気高きこの御国の御霊>などの歌詞が国粋主義的だと指摘された「HINOMARU」や、SNS上での優生思想的な発言で物議を醸した過去があります。こうしたことから、やなせたかしの人柄や作風とはとても相容れるものではないとする意見もありました。  もちろん、これらの歌詞や発言には批判されるべき点はありますが、基本的には思想および良心の自由で認められる範囲のことです。それをもってRADWIMPSが『あんぱん』の主題歌にふさわしくないと断じるのは難しい。  むしろ、筆者が問題にしたいのは、両者における“世界”、そして他者の見え方に大きな断絶があるということです。 <そうだ おそれないで みんなのために>(「アンパンマンのマーチ」)というフレーズには、“私”とは他者のために存在するという、明確なメッセージが込められています。  一方、野田洋次郎の作風は、常に“世界”(他者)を“私”と区別し、対立するものとして設定しています。<何もない僕たちに なぜ夢を見させたか 終わりある人生に なぜ希望を持たせたか なぜこの手をすり抜ける ものばかり与えたか それでもなおしがみつく 僕らは醜いかい>(「愛にできることはまだあるかい」)のように、内面に映し出された箱庭の“世界”で、悲劇の主人公“私”が物語を展開していくのですね。  単なる主義主張の相違よりも、決定的な違いだと言えるでしょう。両者の表現者としてのスタンスやベクトルが、全く逆だからです。  ここに、野田洋次郎がやなせたかしの物語を歌うということのモヤッとした違和感が生じているのだと思います。

これから主題歌が馴染むようなストーリー展開を見せるのか?

 たかがオープニングとあなどるなかれ。ドラマのトーンを決める顔が定まらなければ、視聴者もついていきません。  ともあれ、『あんぱん』はまだ始まったばかり。「賜物」が馴染むようなストーリー展開を見せるのか? 楽しみにしたいところです。 文/石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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