純プロレスラーに変身したシャムロック――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第299回(1998年編)
“格闘家”ケン・シャムロックのプロレス転向は成功だったのか、それとも失敗だったのか――。
シャムロックがWWE世界ヘビー級王者“ストーンコールド”スティーブ・オースチンへの挑戦を表明したのはポスト“サマースラム98”の新シーズン、9.1“ロウ・イズ・ウォー”(マサチューセッツ州ローウェル、ポール・サンガス・アリーナ=9月7日放映分の録画撮り)のリング上だった。
この日、シャムロックはTVマッチでベイダーと対戦し、十八番アンクルホールドで完勝。突然のマイク・アピールは試合終了後に起こった。
「わたしはWWEのリングで1年半、闘ってきた。しかし、チャンピオンシップへの挑戦の機会はいちども与えられなかった」
シャムロックの主張はまさに正論。“世界でいちばんアブナイ男The World’s Most Dangerous Man”に対しWWEがその実力、商品価値、ネームバリューに見合うだけのチャンスを与えてきたかといえば、答えはノーだった。
“プロレス転向”という表現は、厳密にいえば正確ではない。シャムロックは1988年、カリフォルニア州サクラメントでバス・ソイヤーからレスリングのコーチを受け、同年、ノースカロライナ州シャーロットのインディー団体SAPW(サウス・アトランティック・プロレスリング=ネルソン・ロイヤル代表)でデビューした。
1990年、フロリダの名門『マレンコ道場』でUWFスタイルへの“改造手術”を受け、ウェイン・シャムロックの新リングネームで第2次UWFのリングで再デビュー。
日本ではUWF、プロフェッショナル・レスリング藤原組に在籍後、船木誠勝、鈴木みのるらとともにパンクラスの旗揚げに参画し、同団体の初代王者決定トーナメントに優勝してキング・オブ・パンクラスの初代チャンピオンとなった(1994年12月17日=東京・両国国技館)。
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