【3・11特集】脱原発社会を考えるヒント集
―[3・11特集]―
東日本大震災から1年が経った2012年3月11日、各地で追悼式・復興祈念式が行われた。国内のみならず諸外国でも反原発デモが起き、フランスとドイツでは原子力関連施設の前に、何十キロにもわたる“人間の鎖”がつくられた。原発の危険性については、「原発の危険性を訴えた注目記事まとめ」(https://nikkan-spa.jp/168061)にて紹介したとおり、今まであまり知られていなかった事実を、多くの人が知ることとなった。しかし、本当に“脱・原発”は可能なのだろうか?
「脱原発へ[純国産エネルギー]に秘められた可能性」(https://nikkan-spa.jp/168463)にて、原子力発電に代わる発電方式について紹介したが、そう単純な話ではない。この1年間にSPA!がお届けした記事から、“脱・原発”社会を考えるヒントとなるであろう記事を紹介する。
◆福島では「原発が止まると困る」という声にならない声も
3・11以降、訳知り顔で福島原発を語る人も少なくなかったが、2006年から福島原発の周りでフィールドワークを続けてきた社会学者がいた。開沼博――1984年、福島県いわき市生まれ。現在は東京大学大学院学際情報学府博士課程に在籍する若手社会学者だ。
開沼氏は、今後のフクシマを考えるうえで「“原子力ムラの擁護”からはじめるべき」とし、原発を置く側としての『中央の原子力ムラ』と置かれる側の『地方の原子力ムラ』、この双方を「メディア消費のネタとすることなく、擁護から出発することが必要」と語った。
「例えば、事態が進行しつつある中で地元の人の声に寄り添い続ければ、今“知識人”が流している言説の空虚さと害悪が明らかになります。地元の住民の多くは東電叩きや脱原発、あるいは“福島からの疎開”など望んでいない。「原発が止まると困る」「何があっても家を離れたくない」と泣きながら語る老女の言葉の裏には、これまでの生活をこれまでどおりに、生まれ育った場所で、身の回りの人と送りたいという思いがある。知識がある、逃げることができる、あるいは子どもを育てなければならない人々の声は勿論重要です。しかし、そうではない、その地にいて多くを語ることのない人々の言葉に徹底的に寄り添うことからはじめるべきです。そして、その地の歴史的な文脈を知る努力をし、その上で未来を語るべきです」(開沼氏)
※現役東大院生が『原子力ムラ』を擁護!?(7月4日)より
⇒ https://nikkan-spa.jp/18902
◆原発を造った男たちの原発批判
これまで「原発批判」と言えば、もともと反原発の考えを持った人々が中心だった。ところが福島原発の事故以後、これまで原発推進に尽力してきた人々が原発批判を始めている。元原発検査員、元電力会社社員などが、隠されてきた事実を内部にいた彼らが暴き出した。
「原発があるということで、移住予定の人たちにキャンセルされてしまいました」こう語るのは、鹿児島県薩摩川内市峰山地区コミュニティ協議会会長の徳田徳田勝章氏。地域振興のメッカとして知られる同地区の住民組織の代表を務める徳田氏は、元九州電力の社員で原発の立地を担当していた。原発の安全性を住民に説明するという役割であった。しかし、97年に峰山地区に移り住んだ後、「原発はそれほど地域振興に役立たないのではないか」と思うようになったという。
「峰山地区への原発の恩恵は直接的にはありません。例えば、九電の社宅は川内市の街中にあり、原発のそばにはない。補助金も川内市に入るだけで、峰山地区に還元されることはありません。」(徳田氏)
徳田氏は九電時代も現在も「住民の利益・安全を守ることを第一に考えている」と考えは一貫しているという。原発周辺の地区では、補償金を活用した地域振興が期待された。しかし、漁協には62億円が支払われたが、峰山地区には恩恵がなかったというのだ。住民は複合商業生活施設の建設や、雇用力のある再生可能エネルギーの研究施設の誘致を期待しているが、九電は見向きもしない。
※特集「原発を造った男たちの原発批判を聞け」(12月13日号)より
⇒ https://nikkan-spa.jp/106058
◆10億円受取り拒否 原発を拒み続ける小さな島
エネルギー自給100%、農業・漁業・福祉の自立を目指し島民の闘いは終わらない 瀬戸内海に、約30年にわたって原発を拒否し続けてきた小さな島がある。山口県上関町・祝島だ。周辺住民が補助金を受け取り、原発受け入れと傾くなか、頑なに原発を拒否し続けた島民たちは、原発経済・補助金行政に依存しない島づくりを目指し始めている。
反対運動の中心として活動してきた漁師の山戸貞夫さんはこう語る。「島の漁師たちが、中国電力に小旅行だといって伊方原発(愛媛県)に連れていかれ、原発の経済効果と安全性を説明されたんじゃけど……。地元の漁師に聞いてみると、カネをもらったはいいけど、海の温度や海流が変わったからか、それまでみたいな漁ができんくて困っちょるという。こりゃ海を壊すし、いかんわと思った。海はカネには換えられん」
40年にわたって原発問題に警鐘を鳴らしてきた京都大学原子炉実験所の小出裕章助教は、祝島の人々に“脱・原発”のヒントを見出した。
「彼らがお金の誘惑に屈せず、自然とともに生きる島の暮らしを貫く限り、上関に原発はできないと考えていました。原発を受け入れると、補助金事業などで一時は潤いますが、豊かな自然環境を壊された地元は、農業・漁業・観光産業が衰退してしまいます。賛成派と反対派の争いのなかで、地域の繋がりまでも失ってしまう。そして何もなくなった住民たちは、生活のためさらに原発を欲しがる……。こうして、原発依存からずっと抜け出せなくなってしまうのです。祝島の人々のように、一時のカネに左右されず、まっとうに生きること。子供たちに残したい地元の姿を想像すること。それを目指すだけで、原発は不要になります」(小出氏)
※特集「小出裕章が考える 原発と闘う小さい島の30年史」(6月14日号)より
⇒ https://nikkan-spa.jp/16562
◆原子爆弾によって放射線の恐怖を知った先人は、福島原発事故をどう見るのか?
当時9歳、長崎の爆心地から3.8km地点で被ばくした市原憲二郎さん(75歳) は、その場では無傷だったが、2週間後に重度の下痢に襲われ、それが1年ほど続いたという。放射線による急性被ばくの典型的な症状である。その後も、被ばくが強い影響を与えたのか、市原さんの体には様々な異変が表れた。17歳で患った結核を皮切りに、大学生時代には首の左右のリンパ腫を切除、25歳で皮膚結核、胃潰瘍のため38歳で胃を3分の2切除と次々に病に襲われたのだ。
「被ばく者に共通するのは白血球数の著しい減少で、そのため被ばくしていない人と比べて病気になりやすい。結婚する際、妻の両親は私の病歴を調べて『被ばく者に娘はやれん』と大反対したほどです。それを押し切り、家出同然で結婚してくれた妻には頭が上がりません」(市原さん)
彼は、福島の子供たちが将来同じ思いをしないことを望んでいる。
※特集「長寿被ばく者からの[10の伝言]」(9月20日号)より
⇒ https://nikkan-spa.jp/167531
◆イタリア、国民投票で「脱原発」が決定 日本は?
脱原発に向けて、市民グループ「みんなで決めよう『原発』国民投票プロジェクト」による、署名運動や討論会が盛んに行われている。しかし、すぐに国民投票を実施するためにはハードルが高いという状況だ。一方、イタリアでは2011年6月に実施された国民投票で実質的な脱原発が決定されていた。日本と異なり、イタリアは憲法改正および憲法と同等の効力を有する法律の制定、法律廃止、これらすべてに関して国民投票を実施できることが憲法に定められているのだ(憲法第138条および75条)。しかし、当初は「原発を推進するための国民投票だった」という。メディアが実施した世論調査でも6、7割が賛成という状態から一変、福島原発事故を機に、陽気なイタリア人も、考え方が変わった。
※「原発国民投票議連」が盛り上がらないワケ(8月3日)より
⇒ https://nikkan-spa.jp/37486
<構成/日刊SPA!取材班>
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