長寿被ばく者「原爆後は内部被曝を積み重ねる毎日だった」
―[長寿被ばく者からの[10の伝言]]―
福島原発事故後、放射線の恐怖に怯える人々が続出している。かつて原子爆弾によって放射線の恐怖を知った先人は、現状をどう見るのか? 今こそ彼らの経験に耳を傾けよ!
◆小児被曝の可能性。不確定なことへの恐怖
市原憲二郎さん(75歳) [当時9歳・長崎/爆心地から3.8km]
原爆が投下された当日は午後からの登校で、自宅にいた市原さん。
「部屋中を閃光が包んだとき、私は咄嗟に机の下に隠れたので助かりましたが、隣室にいた妹は火傷と切り傷を負って自失状態になっていましたね」
その場は無傷だった市原さんだが、2週間後に重度の下痢に襲われ、それが1年ほど続いたという。放射線による急性被曝の典型的な症状である。
さらに、現代とは違い放射線知識など皆無な時代。その後の市原さんの生活は内部被曝を積み重ねる毎日だったようだ。
「なにしろ食糧難の時代で、周りの田んぼのタニシ、貯水池の魚、バッタ、山のキノコなど、なんでも食べてたから、内部被曝量は相当なものだったでしょう。その上、1年半後には、爆心地近くの浦上に父が家を建てて引っ越しです。今の福島では考えられないことをやってますね(笑)」
◆白血球数の大幅な減少で発病と入退院を繰り返す
少年期の被曝が強い影響を与えたのか、市原さんの体には、その後、さまざまな異変が表れた。17歳で患った結核を皮切りに、大学生時代には首の左右のリンパ腫を切除、25歳で皮膚結核、胃潰瘍のため38歳で胃を3分の2切除と次々に病に襲われたのだ。
「被爆者に共通するのは白血球数の著しい減少で、そのため被爆していない人と比べて病気になりやすい。結婚する際、妻の両親は私の病歴を調べて『被曝者に娘はやれん』と大反対したほどです。それを押し切り、家出同然で結婚してくれた妻には頭が上がりません」
さらにショックなことがあった。結婚した市原さんに、残酷にも無精子症の診断が下ったのだった。
「子供の被曝は生殖腺に影響を与えやすいと言われますが、私の妹も、不妊症です。妹自身は、『原爆のせいだ』といった恨みがましいことは言いませんが……」
市原さんの場合は原爆ということもあり、被曝線量は福島とは比較できないだろう。しかし、彼は、福島の子供たちが将来同じ思いをしないことを望んでいる。
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