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菅政権のコロナ対策が支離滅裂である根本理由。どうなれば“収束”なのか/倉山満

言論ストロングスタイル

12月16日、首相官邸で記者団の質問に答える菅義偉首相。この日、「勝負の3週間」とした新型コロナウイルス感染拡大防止の集中対策期間が最終日を迎えた 写真/時事通信社

いつか訪れるはずの収束に向けて努力を強いる。これは政治ではない

 エジプトはナイルの賜物。人類最古の文明とされるエジプト文明は、ナイル川の肥沃な土地の下で繁栄した。しかし、ナイル川は時に氾濫し、人々の命を奪う。だから古代エジプトの歴代国王は、ナイル川の洪水を前提に、統治を行った。  もし、エジプトの国王が、「ナイル川は氾濫を起こし人々の命を奪うから埋め立ててしまおう」などと考えたとしたら、どうだろう。やろうとしただけで、民は繁栄した生活を奪われただろう。  文明人ならば、わかる話をする。 「経済か命か」などという二者択一自体、子供の選択である。大人は、特に統治者は、「経済も命も」なのである。ただし、科学的な知見に裏付けられた政策でなければ、適切な対処にはならない。そこで科学の知見が重要になるのだ。

両極端な仮説のうち、政府はどちらなのか?

 現在、コロナ禍に日本は苦しめられている。そして、新型コロナに関しては、両極端な仮説が存在する。一つは「ペストのような狂暴な伝染病である」とする説、もう一つは「ただの風邪である」とする説。では、日本政府の政策はどうか。  春先の自粛において、経済そのものを止めた。「コロナはペストのような狂暴な伝染病かもしれない」との仮説に基づいて。  現在も、新型コロナは指定感染症2類の扱いである。結核や鳥インフルエンザと同等の扱いである。5段階中で2番目に重い。しかし、経済自粛や交通制限など、ペストやエボラ出血熱などの1類の伝染病でもできないはずの措置がとられてきた。  その余波か、今でもマスク・ソーシャルディスタンス・消毒は日本中で事実上の義務付けがなされている。しかし、ペストのように狂暴な伝染病が、その程度の対策で大丈夫なのか、素人ながら疑問だが。  一方で、「Go To トラベル」「Go To イート」などなど、一連の「Go To」施策が行われた。コロナなど、新種のインフルエンザのような扱いである。  そして菅首相は「ここからが勝負の3週間だ」と宣言して、3週間がたち、感染が25%拡大した。まるで戦争に負けたかのような空気で、あわてて「Go To」をとりやめた。  支離滅裂である。  政府の意思決定にかかわる政治家・官僚・医者は、自分たちの政策の合理性を疑ったことが無いのだろうか。彼らは社会科学や自然科学の専門家かもしれないが、人文科学の素養が無さすぎる。すなわち、目的にかなっているかの合理性だけではなく、目的そのものの合理性を考えては如何(いかが)か。  総理大臣が「勝負の3週間」と宣言した。皆が「勝つ」ために必死に努力した。結果、感染拡大が25%だったという事実を前に、事実上の敗北宣言を行った。この過程に疑問を持たなければ、人文科学の素養が無い。また、科学的な議論ではない。
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どうなれば「コロナが収束」なのか
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1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)が発売中

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