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パルコ、地方での閉店が続くなか「熊本で新業態立ち上げ」のワケ。キーワードは“わさもん”

 ファッションビル大手「パルコ」が、一度撤退した九州・熊本の地で“新業態”として異例の復活を遂げた。新業態の名は「HAB@(ハブアット)」。地方からの撤退を相次ぎ打ち出すパルコがなぜ、熊本で新業態を立ち上げ復活したのか。地方都市再生の切り札となりえるかもしれないパルコの新たな地方戦略を見に行こう。
パルコ

パルコの1号店「池袋PARCO」。2016年には村野藤吾設計の百貨店建築という個性を活かした外壁リニューアルも行われており、築60年超という古さは感じさせない(写真:淡川雄太)

1969年に誕生したファッションビルの先駆者

 ファッションビルの代表格として知られる「パルコ」は、1969年11月に東京都豊島区の池袋駅で誕生した。パルコと1号店「池袋PARCO」は、西武が関西老舗呉服系百貨店「丸物」(現近鉄百貨店)から経営不振に陥ったグループ会社「東京丸物」(旧池袋ステーションビル)の法人格と店舗を引継ぎ、高単価・高付加価値な衣料品を中心とした若者向けの商業施設“ファッションビル”として心機一転再創業したものであった。  パルコ誕生当時、類似の施設は全国的にみてもメルサ(名古屋市)やサントピア(水戸市)、ラフォーレ原宿(渋谷区)、109(渋谷区)などごくわずかにある程度で、丸井も月賦百貨店からファッション・インテリアに特化した商業施設として業態改革を進める過程にあるなど、まだまだ珍しい存在だった。  ファッションビルという業態自体が草創期にあるなか、パルコは若者の感性に訴えかける広告宣伝やブランドの発掘を進めるだけでなく、音楽・芸術・出版といったソフト面からライブハウス・ミニシアター運営といったハード面まで、トレンドを継続的に調査分析・育成することで、既存の雑多な専門店ビルとは異なる“館”の統一イメージを鮮明にし、パルコというブランドとファッションビルという業態を確立していくこととなる。  

日本全国に“東京発の文化”を輸出

パルコ

2006年8月にパルコ初の完全閉店となった岐阜PARCO跡地(写真右)。JR・名鉄岐阜駅前という好立地を活かし、トヨタ系総合商社による再開発も検討されたが、閉店後16年経過した現在も駐車場のままだ(写真:淡川雄太)

 パルコは西武セゾンの多角化戦略に歩調をあわせ、1971年12月には西武百貨店関西運営店舗として関西1号店「心斎橋PARCO」を開業(1991年5月パルコ直営化)、1975年8月には北海道1号店「札幌PARCO」を開業、1976年9月には西武百貨店の提携店舗を引継ぎ東海地方1号店「岐阜PARCO」を開業、1977年4月には西友を業態転換するかたちで九州1号店「大分PARCO」を開業するなど店舗網を拡大。西武セゾンによる地方百貨店支援や店舗改革、再開発事業に参画するかたちで、同業に先駆けて全国展開を図ることとなった。  パルコは1990年代後半に西武セゾングループ解体という岐路に直面したもの、2000年代初頭から新たな親会社のもと経営基盤を再構築することで、2007年3月からは仙台・静岡・福岡など、各地方を代表する政令指定都市に相次ぎ展開していく。  地方店舗においても物販領域にとどまらず、「PARCO GALLERY」「PARCO FACTORY」といった催事空間を通して現代アート・ファッションからアニメ・漫画・特撮・バラエティに至るまで、首都圏と時差のない企画展を打ち出すことで、東京発の文化を地方に輸出する役割を果たしている。
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2006年から店舗老朽化や商環境の変化による閉店が相次ぐ
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都市商業研究所』。Webサイト「都商研ニュース」では、研究員の独自取材や各社のプレスリリースなどを基に、商業とまちづくりに興味がある人に対して「都市」と「商業」の動きを分かりやすく解説している。Twitter:@toshouken

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