三宅裕司72歳、“笑いと音楽の原点”を振り返る「落語はまだまだ年寄りが元気すぎる」
「スーパー・エキセントリック・シアター」の主宰として、44年に渡って劇団を背負ってきた三宅裕司さん(72)。喜劇役者として笑いを追求する一方で、ラジオパーソナリティ、司会者、演出家としても活躍。現在公演中の舞台「ラスト★アクションヒーロー~地方都市に手を出すな~」で演出・出演を務める三宅さんに、“笑い”と“音楽”の原点を振り返ってもらった。
――三宅さんが劇団スーパー・エキセントリック・シアター(以下、SET)を結成する原点をお伺いしたいんですが、学生時代はバンドと落語で大忙しだったそうですね。
三宅裕司(以下、三宅):音楽はザ・ベンチャーズの大ファンで、彼らが初めて来日したとき(1962年)もリアルタイムで聴いていましたし、中学1年生のときにコピーバンドも始めました。以前、山下達郎さんと話したときに当時の話題になって、「御スタでしょう?」って盛り上がって。同世代でベンチャーズに魅せられた人は、コピーバンドをやるために同じ新宿御苑のスタジオを借りて練習していたんですよ。その後、僕はリズムアンドブルース、ニューミュージックを通過して、大学時代はジャズコンボバンドを組んでいました。
――大学時代、三宅さんは明治大学の落語研究会に所属して、4代目「紫紺亭志い朝」を襲名、その名跡は後輩の立川志の輔さん、渡辺正行さんに受け継がれていったのも有名なお話ですが、落語はどういうきっかけで聴き始めたんですか。
三宅:うちの家業は印刷業だったんですが、そこで働いていた叔父が落語好きで、仕事場で落語を流しながらガリ切りをしていたんです。その横で育っていますので、小さい頃から落語を聴いていて、耳もどんどん肥えて、「(柳家)小さん師匠の『時そば』が一番だ」なんて言ってました。それで高校時代、一番仲が良かった奴と一緒に落研を作って、大学でも落研に入ったんです。
――早くから寄席にも通っていたんですか。
三宅:本格的に寄席に行くようになったのは大学時代です。ただ当時は寄席ブームでしたから、テレビでも寄席番組をやっていたんです。それをテープに録って、聴きながら台本を起こして、何回も聴いて覚える。だから当時の学生落語は口調で大体、「(立川)談志師匠のテープで覚えたな」とか、「このくすぐりは(月の家)圓鏡師匠のテープだな」とか、どの落語家のテープで練習したかが分かるんです。
――三宅さんは、誰の影響が大きかったのでしょうか。
三宅:僕は(古今亭)志ん朝師匠です。テープを聴いて覚えてもクセのない粋な口調だったので学生が真似しても嫌味にならなかったんです。
――ご自身が落語家になろうという選択肢はなかったんですか。
三宅:なかったですね。落語を一生懸命やった分、難しさも分かるし、まだまだ年寄りが元気過ぎるなと思って(笑)。なかなか上にいけないだろうし、いろんな派閥もあるだろうし、何より誰かの弟子になって、修行するのも大変だなと思って。僕は、もっと動き回りたかったし、音楽もやりたかったので、そういう要素も取り入れたエンターテイメントをやりたかった。だから落語だけに絞るのは嫌だったんです。
ザ・ベンチャーズの大ファン
まだまだ年寄りが元気過ぎる(笑)
出版社勤務を経て、フリーの編集・ライターに。雑誌・WEB媒体で、映画・ドラマ・音楽・声優・お笑いなどのインタビュー記事を中心に執筆。芸能・エンタメ系のサイトやアイドル誌の編集も務める。
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劇団スーパー・エキセントリック・シアター 第61回本公演
「ラスト★アクションヒーロー~地方都市に手を出すな~」
日時:2023年10月19日(木)~10月29日(日)
場所:サンシャイン劇場
【作】𠮷井三奈子
【演出】三宅裕司
【出演】三宅裕司 小倉久寛
劇団スーパー・エキセントリック・シアター
劇団スーパー・エキセントリック・シアター第61回本公演は、とある地方都市に潜入した公安特殊部隊とスパイ組織による、極秘に開発された超小型スーパーコンピューターを巡るスパイアクション。純朴な町の人々を巻き込み水面下の攻防戦が繰り広げられる、男たちの熱き絆と友情の群像劇。劇団スーパー・エキセントリック・シアターが最も得意とする“アクションの集大成”。
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