周囲にも一人はいる!? 化石化する「裏原系おっさん」の生態
A BATHING APE、ヘクティク、リボルバーなど、90年代後半から00年代初期にかけて流行した「裏原系ブランド」。商品の入荷日には、全国からオシャレ好きが原宿へと押し寄せ、ブランドオリジナルのロゴが入った1枚6、7000円のTシャツなどを手に入れようと争奪戦を展開。転売すれば定価の何倍もの値段がつくためヤクザや業者が絡み、ホームレスを使って列に並ばせるなんてことも当時は珍しい話ではなかった。
その狂乱の裏原系ブームとともに青春時代を過ごした者たちは、当時仮に高校生だとしても現在30代中盤に差し掛かり、会社でおっさん扱いをされだす頃。家庭を持ち、懐事情からもブランド服にお金をかけられないのが普通なのだが、なかにはいまだにそのムーブメントを引きずったままの者もいる。
そんないわゆる“裏原系おっさん”の多くが、渋谷のIT系やメディア企業に生息しているというのだ。私服通勤ゆえにその「裏原っぽさ」が加速する彼らの特徴をいくつか挙げてみよう。
ブームの頃は、フロントにデカデカとグラフィックロゴが施されたTシャツが流行していたように、どれだけ白地の隙間を埋められるかが重要であり、それが裏原系デザインの象徴でもあった。だが今では、無地やワンポイントのデザインが主流なこともあり、裏原系おっさんも緩やかにファッションスタイルをチェンジ。今ではNEIGHBORHOODやワコマリアなど、基本的に黒がメインでちょいワルな印象を与える“ルード系”ブランドを好んで着ている。
ちなみに、NEIGHBORHOODと言えばTOKIOの長瀬智也が愛用するブランドでもあるのだが、「上司が雑誌の長瀬君のコーデそのままで出社してきた」(IT系・28歳女性)と、やり過ぎてオリジナリティ皆無になってツッコまれてしまう者も。
当時はどの裏原系ブランドもルーズな作りが基本だったため、ボトムスは必然的にゆったりと着こなすのが通例だったが、それも時代の変遷とともに、ストリートではスキニーパンツなどのジャストサイズの服が流行。
だが裏原系おっさんたちは、そのフィット感が青春時代の思い出とともに染み付いているため、32インチがマイサイズだとしても、34インチ以上の太めパンツをチョイスするようにしている。
コラボをすればプレミア価格になるのが当たり前だった時代、希少性の高いアイテムを身につけていた者は、それだけで裏原のキッズから一目置かれる存在だった。その名残からか、今でも通常ラインで良さそうなものでも、あえてコラボ・限定モノを選び、自己満足に浸っている。
また、当時と経済力が違うため、もし店で直接手に入れることができなくても、オークションで定価以上の値段を出して購入。開店前から必死に並んだ頃とは違う、大人の余裕を見せつけている。
裏原宿系ブランドを語るのに外せないのがバンドの存在。当時はパンクバンド・Hi-STANDARDが主催する「AIR JAM」というフェスに出演していた、いわゆる“エアジャム系”バンドマンたちが、こぞって裏原系ブランドに身を包んでいた。当時を生きてきたおっさんたちにとっては、そこで流行したメロコア、ミクスチャーといったラウドな音楽の心地よさが忘れられず、いまだにそれを聴いて精神の安寧を図っている。
当時、神宮前を無目的に歩きまわり、ストリートファッションしかできなかった裏原おっさん。30代後半になった現在では、神宮前を飛び出してアウトドアに活路を見出している。キャンプギアにハマり、野外フェスで昔と変わらずオシャレ合戦をする者も少なくない。最近ではInstagramでその様子をアップし、エセ読者モデル的振る舞いをする者も出始めている。
そんな裏原系おっさんたちも、今や週末の行動エリアは原宿から郊外へ。自宅からほど近い二子玉川や溝の口、学芸大学などでベビーカーを押す姿が目撃されている。
Instagramに掲載することも考えているため、地元であってももちろん、ファッションはファストブランドに頼ることはない。目に見えるところは裏原系ブランドで固め、アイデンティティを保っている。
ファストファッション全盛期の今、若者で裏原ブランドに身を固めている者は皆無。その点で今では貴重となった化石化した「裏原おっさん」を、ある種の遺産として今後も見守っていただきたい。
<取材・文/日刊SPA!編集部>
現在では“ルード系”ブランドを好む
基本的にボトムのサイズはワンサイズ上
「コラボ物こそ至高」の考え
音楽は未だに「エアジャム系」
キャンプに目覚めてオシャレ合戦
オフは郊外でベビーカーを押す姿も
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