包丁を持ち出す兄との喧嘩から始まった「名前のない病気」。“30年間引きこもり”の兄との記憶を漫画化した作家の覚悟
「母が生きていたら描かないでくれと言われたかもしれません。だけど、説得できるだけのものはあります」と漫画家の宮川サトシさん(46歳)は静かに言った。これまで数多くの「家族」をテーマにした、ほのぼのエッセイ漫画を手がけてきた宮川さんには、今まで一度も作品に登場させたことのなかった兄がいた。実家に30年もの間、ひきこもるきっかけを作ったのは、他でもない自分だったという。第1回「スペリオールドキュメントコミック大賞」大賞受賞作品の「名前のない病気」の作者、宮川サトシさんに話を聞いた。
宮川さんは、岐阜県出身。共働きの両親のもとに、3人兄弟の末っ子として産まれた。両親が40歳過ぎでできた遅い子どもだった。7歳上の兄とは親友のような関係だが、15歳上の兄は名前を呼ぶのをためらう。作中にあるように、「長男さん」と記号のような呼び方をしている。
「兄は、小中高時代は、ひきこもりではなかったです。ただ正直、僕にとっては『この人間は自分の兄だ』というくらいの認識しかなく、『お兄ちゃん』と呼んだこともありません。僕がテレビを観ていると、自分が好きなチャンネルに替えに来るとか、絶妙に嫌なことをやってくる人でした。抗議しても大声でがなり立ててくるので、あまり関わりたくなくて距離を置いていたから、記憶が薄いんです。だから、今も、記憶をたどって描いています」
高校卒業後に工場で働いていた兄は、職場に行ったり行かなかったりしていたが、本格的にひきこもるきっかけになったのは、宮川さんとの喧嘩だった。兄は家で暴れるたびに、家族に包丁をつきつけた。真ん中の兄は、宮川さんが小6の時に家を出ており、仕事で忙しかった父に代わり、兄が暴れると止めるのが役割になっていた。
宮川さんが高校2年生の時に、帰宅すると、室内から母の悲鳴が聞こえてきた。いつものように兄が暴れているのかと思うと、兄から暴力を受けた母がもみくちゃにされて引き倒されていた。兄の手にはいつものように包丁が見えた。母が血を流していた。
「ママっ子だったので、頭に血が上りました。次男から教えられていた護身術を使って長男を取り押さえて、兄ともみ合ってるうちに、とどめの一撃を入れると、兄の顔色は血色が悪くなっていきました」
その後、兄は入院することになった。入院を機に兄は、自宅でのひきこもり生活に入る。宮川さんは、幼いころから争いが耐えない環境にいたため、いまだに「兄弟喧嘩の定義」がどんなものか分からないという。
そんな宮川さんにも大きな転機が訪れる。大学時代に白血病にかかり入退院を繰り返した。闘病後、30歳の頃に現在の妻と同棲を始め、実家の近くのアパートに引っ越したのだ。

宮川サトシさん(46歳)
15年上の兄を「長男さん」と呼ぶ
包丁を持ち出す兄と喧嘩の末に兄は入院しひきこもり生活に
立教大学卒経済学部経営学科卒。「あいである広場」の編集長兼ライターとして、主に介護・障害福祉・医療・少数民族など、社会的マイノリティの当事者・支援者の取材記事を執筆。現在、介護・福祉メディアで連載や集英社オンラインに寄稿している。X(旧ツイッター):@Thepowerofdive1
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