編集者必見!マンガ家のハートをつかむテクニックとは?――マンガの描き方本の歴史8
『帽子男シリーズ』や『ギャグにもほどがある』など、作品ごとに惜しげなくアイデアを使い捨てるリサイクル精神ゼロのギャグ漫画家・上野顕太郎氏。実は「マンガの描き方本」を収集することをライフワークとし、現在、その数は200冊以上に及ぶという。
本連載は上野氏所有の貴重な資料本をベースに「マンガの描き方本」の変遷を俯瞰するシリーズである。マンガへの愛情たっぷりなチャチャと共に奥深いマンガの世界を味わいつくそう。
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人に何かを伝える手段として言語が存在するわけだが、より分かり易く伝えるために、イラストが添えられたり、マンガが使われるのは周知の事実だろう。『マンガで学習 1年生のこくご』『まんがで分かる法律入門』『マンガ漢方入門』『漫画 原価計算入門』『まんがでよくわかる 正露丸のひみつ』等、枚挙にいとまがなく、挙げてゆくだけで文字数が稼げてしまう。が、『マンガでわかる小説家入門』にはいささかの疑問と突っ込みを禁じ得ない。そこは文章で理解しとこうよ!
それに比べ、マンガの描き方をマンガで解説するのはごく自然の理にのっとったやり方とは言えまいか? というわけで今回のテーマは「マンガで描かれた マンガの描き方本」これです! 早速、幾つかの系統に分けて紹介していこう。
◆「学習マンガの形を取った『マンガの描き方本』」
まずは、解説を主眼とした作品。大抵複数のキャラクターが会話をしながらノウハウを指南する、いわば学習マンガの形をとっている。解説に徹するあまり、読み物としては物足りなくなるきらいもあるが、昭和27年に『漫画少年』(学童社)に連載され、平成22年に小学館クリエイティブから発行された手塚治虫の『漫画教室』(図1)は読み物としても面白く、解説にも表現としての趣向が凝らされ、実験的な挑戦もあるのは流石だ。『漫画少年』は当時、唯一とも言えるマンガ家を目指す少年少女達の登竜門で、それ以前には無かった、時代に即したマンガの描き方を学べる教則として、マンガ家予備軍に多大なる影響を与えたであろう事は想像に難くない。
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昭和46年、浅野プロ編『まんが教室』(集英社刊)(図2)は、恐らく作者の分身であろうメガネの青年とカラスのキャラクターを中心に、マンガにおける様々な要素が解説されてゆく。40年程前の作品にも関わらず今見ても絵の的確さやセンスの良さを感じまくる。
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例えば「背景も大切」の項では、「場面によっては、キャラクターをのみこむほどの背景も必要(後略)」(図3)と説く。これは結構多くの本で取り上げられている「背景を描きこみ過ぎるとキャラクターを殺す」といった文言への反論だろう。曰く、キャラクターの周りを開けるか、構図を変えるという解説が主たる説明だが、真に重要なのは絵の狙いがどこにあるかであり、十羽ひとからげに描きこみを否定出来るものではないだろう。
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ご承知の通り、現在のマンガ表現では描きこみ過ぎの背景がキャラクターの背後に陣取ってる作品も当たり前にある。当時は今とは違った、マンガ表現に対する窮屈な締め付けがあったのだ。同じ項でメガネくんはこうも言っている。
「ふつうの常識にとらわれず 自分でいいと思ったり、ちゃんと目的があるなら思ったとおりに表現すればいいということさ。」
ごもっとも! 以前も言ったかもしれないが、表現は極力自由であるべきだ。「何々してはいけない」や「何々しなければいけない」という縛りに捕らわれずにゆきたい。無論、闇雲に誰かを傷つけたり、貶めたりというような表現は、自らの人格を疑われる事になるのでこれまたご注意。「自由」には常に「責任」が付いてまわるのだ。
昭和60年、鳥山明、さくまあきら『ヘタッピ マンガ研究所』(集英社刊)(図4)は3つのパートから成り立っている。最初のパートが講師のとりやまあきら先生が生徒のヘタッピくんにマンガを教える漫画で、内容は低年齢層向けだが、とりやま先生の良い絵が見られてお得。2つ目のパート「トリヤママンガスクール」は文章も交えたマンガの描き方だが、カットを描く西村まさのり氏の絵が良い。最後のパートは読者から送られてきたマンガを1ページ取り上げ添削指導する「ヘタッピマンガ研究レポート」。ヘタッピなマンガを送ってこい、という決まりの本コーナーだが、応募作から当時の流行のような物がほの見えて面白い。
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次に少女マンガ雑誌の連載作が単行本に成ったものをざっとご紹介したい。
平成2年 さいとうちほ『マンガ アカデミア』小学館刊
平成5年 藤田和子『マリコまんが家になります!』小学館刊
平成12年 構成/飯塚裕之、作画/すもと亜夢 他『めざせ!!の星』小学館刊
平成14年 亜月亮『これでOK! まんがのかき方』集英社刊
平成17年 渡瀬悠宇『まんが遊戯』小学館刊
平成18年 花とゆめ 別冊花とゆめ LaLa メロディ共同編集『少女まんが家になろう!』白泉社刊
平成19年 新條まゆ、構成/飯塚裕之『バカでも描けるまんが教室』小学館刊
平成21年 車谷晴子、構成/飯塚裕之『0から始めるまんが教室』小学館刊
ここでも多いな! しょうがくかんかん!
単行本化されていない物も含めると、一体どの位の作品があるのか不明だが、これだけみても、少女マンガ系雑誌が力を入れて新人マンガ家の育成に務めているのがおわかりいただけたかと思う。
◆「マンガ家志望者に告ぐ! マンガは仕上げてこそ!」
次に紹介するのは、解説も入るが、主人公が存在し、成長してゆく物語がある作品。まずは、昭和51年、つのだじろう『その他くん』講談社刊(図5)。何をやっても失敗ばかりのその他くんこと君輪園太が、高校進学を蹴り、様々な人との出会いを経てマンガ家デビューを目指す、逆境感満載の奮闘記。
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よいマンガとは何か? そんな大命題を踏まえつつ、真摯に、ひたすら実直にマンガに向き合う姿が描かれる。時代が移ろうとも、その根幹は今にも通ずる物がある。描かれた当時に、第一線で活躍していた漫画家達(手塚治虫・藤子不二雄・石森章太郎・赤塚不二夫・つのだじろう・矢口高雄・さいとうたかを)が実名で登場し、主人公と絡むのも興味深い。単行本化にあたって、連載当時広告のスペースだった個所に、マンガ家を目指す人のために書かれたコラム「つのだじろうマンガ専科」が追加されているのも有りがたし。
平成20年、藤野美奈子『明日ひらめけ!』メディアファクトリー刊(図6)は、マンガ家デビューを目指す17歳の女子高生・くるみ田小鳩と仲間達の奮闘と、デビュー20周年の大御所マンガ家が抱える問題が同時に描かれてゆく。
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本作では一般的なマンガの描き方本に取り上げられるような要素は登場しない。描かれるのは、現場に立ちはだかる具体的な問題への対処法だ。例えば、出版社主催のマンガスクールの回。課題は「三題話」で、お題は「やかん・スイートピー・おじいさん」と難しい。短い制限時間の中、ほとんどの参加者は未完成のまま原稿を提出するのだが、編集長は言う。
「仕上げてこそ漫画家」
そんななか、数少ない完成作のうちの一本が紹介される。それがきっちり本当に面白い。かつて八潮路つとむが漫才師を主人公にして描いた『2丁目のドンキホーテ』(注1)作中の漫才が本当に面白かったように! 例えが分かりにくいよ! つまり作品の説得力が増しているのだ。流石はみなっち!(藤野美奈子の愛称)
熱量の高い物語の終了後には「対漫画家 編集者マニュアル」が掲載され、いかに漫画家から原稿を取るかのノウハウが描かれる。一部を紹介しておこう。
「できれば全作品を読んでおき 今後は折にふれ小出しにします後で『え? あれも読んでくれてんの?』なんてわかるとものすごく嬉しいものです」
「代表作はあえて最後に 漫画家は代表作や売れた作品を読んで近づく編集者をすぐに信用しません」
「作品をほめられると どんな漫画家も間違いなく筋肉が弛緩します 気取っていても ぶっちょう面でも心はくちぶえスキップです」
編集者必見!
さて続いても熱気溢れる作品。平成4年、加藤礼次朗『めぐみの春』学習研究社刊(図7)。随所に散りばめられるノウハウもさることながら、漫画に取り組む姿勢を問われるのが本作の醍醐味だ!
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主人公、大山めぐみ19歳は漫画家を目指すが、次々に問題が立ちはだかる。初めて出版社に原稿を持ち込んだめぐみは、「キミはまずプロの心がまえを学ぶ事から始めたまえ!」と酷評される。アシスタントに付いた先生や先輩アシスタント、偶然出会った漫画界の先達との出会いによって、技術面と共に精神面も成長を遂げるめぐみ。ネタバレはしたくないので詳細は書かないが、例えば作中に導き出される「他人に読ませる、読者を楽しませる」という命題に対する主人公なりの結論、等が興味深い。本作の意義を端的に表す言葉が冒頭にあったので紹介したい。曰く、
「すべての物語は『感動』から始まる・・・・・かつて人は自然や動物の姿に感動し豊穣の祈りを込めて絵を描いた・・・・・時が流れ 人は絵を描きつづけ やがて絵には物語が与えられるようになり・・・・・そして・・・・・『漫画』が誕生した!!」
感動、すなわち心が動く事。心に訴えかけられる事。かつて一読者であっためぐみが、自ら感動の送り手となった時、めぐみの成長の過程に立ち会った我々読者もまた感動を享受するという二重構造。感動の連鎖、ナイス!
そんな熱い物語が展開する中にあって息抜き的に入るギャグは欠かせない。緊張ばかりでは読者が疲れてしまう! という、マンガの描き方のお手本のように、本作にも笑いが散りばめられている。アシスタント先の原稿が仕上がった後、先生にサウナに誘われ、熱さに耐えかねためぐみだが、最低でも3分は入れと言われ……
「3分間!? 体の中がボンカレーになっちゃうわ!」
……意味不明だぞ、めぐみ!
◆「私、上野顕太郎が締め切りを守る理由」
さてさてお次は実録物と、ほぼ実録物をご紹介したい。これらは厳密に言うとマンガの描き方本ではないが、先人がマンガとどう向き合ったかという軌跡を辿るのもまた、マンガの描き方の一端を知る手掛かりになると思う。
昭和47年、藤子不二雄『まんが家修行 まんが道』秋田書店刊(図8)とその続編で昭和53年に刊行された藤子不二雄『まんが道』少年画報社(図9)。更に続編昭和62年『第二部 まんが道』(余談だが、少年画報社版1巻のあとがきには以前描いた「まんが道」第一部に続く第二部で……とあるので、この作品は第三部の筈……なのだが?)主人公は満賀道雄と才野茂という架空の名前になっているが、その他の有名マンガ家は実名で登場する藤子不二雄の自伝である。
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この辺、2008年に刊行され、テレビドラマ化もされた島本和彦『アオイホノオ』(小学館)と同じ設定となっており、こちらも主人公の焔燃(ほのおもゆる)以外、実在の人物が実名で登場する。あくまでフィクションという事だが、こちらも島本和彦の自伝と言って差し支えあるまい。ありませんよね?
タイトルが出たついでに比較してみよう。両作ともマンガ家を目指す若者が主人公だが、色濃く出ている時代性が違っていて興味深い。共に分析するタイプの主人公だが、後者は情報過多で自我が肥大しているような様が現代的(と言っても軽く30年程昔の事ではあるが……まあ、前者は60年程昔だからね!)という所か。
かく言う私も時代的には後者ドンピシャで、読んでいて痛みを感じる部分が多々ある。若さってしょうがないね! もひとつついでに言わせてもらうと、実録でもないし、描き方本でもないが、熱い魂が炸裂している、島本和彦の『燃えよペン』(図10)『吼えろペン』のシリーズは、道に迷ったら読むといいだろう! 答えがあるとは限らないが、闇雲に問題に立ち向かう主人公の姿は、やはり学ぶ点が多いと思う。我々漫画好きは架空の人物からだって影響を受け、教訓を得たり元気をもらったり出来るのだからな!
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もう一方の『まんが道』はというと、主人公がマンガに向き合う姿勢は真摯そのもの。依頼を受け、2人で案を考えた作品が、下描き、ペン入れ等の作画過程を交えつつ完成してゆく様子を丁寧に描き、仕上がった作品がどれも手堅い出来で、新人の頃から、彼らのレベルが格段に高かった事が伺える。
しかし、それとは別に、個人的に最も印象に残り、トラウマになっているエピソードがある。それは少年画報版、第17巻(図11)の主人公2人が複数の仕事を抱えたまま久々の帰郷をする下りだ。それまでの仕事のやりすぎの反動で気が緩んでしまった2人は、ペンが進まなくなってしまう。やがて原稿催促の電報が届き始める。「ゲ ンコウシキュウオクレ」1通、2通、3通……。2人は焦り、必死に机に向かうが、焦れば焦るほど仕事は遅々として進まない。そして遂に「ゲ ンオクルニオヨバ ズ ヨソヘタノンダ」の電報が!
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それからの10日間、電報は届き続けたが、その後パタッと来なくなったのである……
こわ~~~~!
2人はその後巻き返し、現在の地位を築いていったのはご承知の通り。二人の努力と才能に加え、2人だったという強みもあるのだろう。兎にも角にも、私が締め切りを割と守るタイプなのは、このエピソードのせいだと思う。
昭和58年、手塚治虫と十一人『トキワ荘物語』翠楊社刊(図12)は、虫プロ商事発行の雑誌『COM』に掲載された、著名なマンガ家が集まった事で有名なアパート「トキワ荘」を巡る連作で、錚々たるメンツがそれぞれの青春時代を描いている。目次も、とってもいい!
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◆「ノウハウを逆手に取ったギャグ作品に作者の本音がチラリ」
最後に、ノウハウがあるふりをしているギャグとしてのマンガの描き方を紹介しておこう。役には立たないかも知れない、立つかも知れない。
昭和59年、とり・みき『しまった。』白泉社刊(図13)に収録されている「少年のための天才マンガ家入門」は、マンガの描き方自体をギャグにしてはいるものの、随所に作者の本音が紛れ込んでいる。
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「君にはこれから編集者が色々とアドバイスをするだろう いわく 『自分だけで面白がってる』『もっと広く多くの人にわかりやすいように描け』『女の子をもっと出せ』……そんな言葉に耳を傾けてはいけまつェん!! 自分が面白いとゆーマンガを描くことがまず先決」
マンガ家と編集者とは時に対立関係になる事もあろうが、基本的には最初の読者だ。大切なのは意思の疎通なのだろう。ここでは、これ以上掘り下げないが。
昭和55年、吾妻ひでお『贋作ひでお八犬伝』奇想天外社刊(図14)に収録されている「どろろん忍者」のなかの1本、「どろろん流マンガのかきかた」は当時、双葉社より発行された「ワイド版マンガのかきかた」がベースになった作品で、とことん実践には使えないが、ギャグとして面白いので問題なし!
⇒【画像】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=751420
平成18年、増田こうすけ『増田こうすけ劇場ギャグマンガ日和』集英社刊(図15)のうちの1本「目指せ漫画家シリーズ1 マンガを描こう」になると、もはやノウハウ自体がギャグになっている。
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フィクション、ノンフィクション取り混ぜて「マンガで描かれたマンガの描き方本」をご紹介してきたが、いかがだっただろうか。分かりやすく伝える手段として使われるマンガだが、分かりやすく伝えるためには様々な工夫や努力が不可欠だ。そんなノウハウが詰まっているのがマンガの描き方本だ。どうか、マンガ家を目指す人ばかりでなく、マンガファンにも読んで欲しい。マンガがどう作られているのかを知れば、より一層マンガへの理解が深まるに違いない……というような事を石森先生がおっしゃってましたよ。
最後の最後に「あれ? マンガで描かれたマンガの描き方の紹介に、なぜあの作品が入って無いの!?」と思われた方が26人はおられるでしょう。その作品についてはちいと長くなりますので、来年、発売予定の単行本内でじっくり取り上げてみたいと思っていますのでお楽しみに!!
(注1)八潮路つとむ『二丁目のドンキホーテ』:芸人を目指して広島から大阪に出てきた高校生が、コンビを組み、さまざまなトラブルを乗り越えてブレイクするシンデレラストーリー。「ヤングジャンプ」掲載作。
文責/上野顕太郎
上野顕太郎/1963年、東京都出身。マンガ家。『月刊コミックビーム』にて『夜は千の眼を持つ』連載中。著書に『さよならもいわずに』『ギャグにもほどがある』(共にエンターブレイン)などがある。近年は『英国一家、日本を食べる』シリーズ(亜紀書房)の装画なども担当。「週刊アスキー」で連載していた煩悩ギャグ『いちマルはち』の単行本が11月下旬発売予定
※第六回は12月上旬に掲載の予定です。
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『暇なマンガ家が「マンガの描き方本」を読んで考えた「俺がベストセラーを出せない理由」』 全てのマンガ好きに捧げる日本初「マンガの描き方本」考察本!! ![]() |
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