“レッスルマニア2000”はマクマホン劇場――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第325回(2000年編)
“レッスルマニア2000”のテーマはマクマホン・ファミリーの“骨肉の争い”。いちばんの悪党は、やっぱりビンス・マクマホンだった。
1985年の第1回大会から数えて16回めを迎えた“レッスルマニア2000”は、2000年4月2日、カリフォルニア州アナハイムのアローヘッド・ポンドで開催された。
メインイベントは、トリプルH対ザ・ロック対ミック・フォーリー対ビッグショーのWWE世界ヘビー級選手権“フェイタル・4ウェイ・イリミネーション”。
トリプルHには“愛妻”ステファニー、ロックにはビンス、ビッグショーにはシェーン、そして“引退宣言”のフォーリーにはリンダ社長。4選手のセコンドには4人のマクマホンがそれぞれセコンドについた。
フェイタルfatalとは致命的、破滅的、命にかかわるという意味の形容詞で、いったいなにがファイタルなのかというと、メインのリングに立った4人のレスラーのそれぞれの運命がそれにあたるということなのだろう。
トリプルH、ロック、フォーリー、ビッグショーの4選手は、まぎれもなくこの時点でのWWEの主役グループだった。
おしゃべりがうまいスポーツ・セレブリティーとしてのステータスを築きつつあったロックは、“レッスルマニア”のプロモーション活動としてアメリカでいちばん視聴率の高いトーク番組“ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノ”(NBC=3月17日放映分)にゲスト出演し、お笑いの長寿番組“サタデーナイト・ライブ”(NBC=3月18日放映分)ではゲスト司会者をつとめた。
“ストーンコールド”スティーブ・オースチンは前年の1999年11月、故障中の首(ケイ椎損傷)の手術―長期リハビリのため戦線離脱していてこの年の“レッスルマニア2000”を欠場した。
首をケガしたのはそれより3年まえの“サマースラム97”でのオーエン・ハートとの試合中で、ストーンコールドはその後、文字どおり“爆弾”を抱えながらリングに上がりつづけていたが、手足にしびれなどの後遺症が出たため、ついにドクター・ストップがかかった。
“4ウェイ・イリミネーション”は4人のレスラーが同時にリング内で闘うサバイバル・マッチで、序盤戦はビッグショーが怪物的な強さを発揮した。
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