更新日:2022年08月25日 09:23
スポーツ

“月曜TVウォーズ”とはいったいなんだったのか?――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第324回(2000年編)

WWEオフィシャルDVDボックス「MondayNight WAR」ジャケット

WWE“ロウ・イズ・ウォー”対WCW“マンデー・ナイトロ”の月曜TV戦争とはいったいなんだったのか?(写真はWWEオフィシャルDVDボックス「MondayNight WAR」ジャケットより)

 アメリカの2大メジャー団体、WWEとWCWが毎週月曜夜のプライムタイムに連続ドラマ式のプロレス番組をぶつけ合った闘いが“月曜TVウォーズ”である。WWEが“ロウ・イズ・ウォー”(USAネットワーク=正式タイトルは“マンデーナイト・ロウ”)で、WCWは“マンデー・ナイトロ”(TNT=ターナー・ネットワーク・テレビジョン)。  TVショーの視聴率争いは後発の“ナイトロ”(“ロウ”は1993年1月に放映開始)がスタートを切った1995年9月第1週から同番組が最終回を迎えた2001年3月26日オンエア分まで、じつに5年6カ月間にわたってつづいた。  “ロウ”対“ナイトロ”、WWE対WCWの対立の構図は、1990年代後半から21世紀にかけての“プロレス史”そのものだった。  “ナイトロ”の視聴率が1996年6月10日放映分から1998年4月6日放映分まで、1年8カ月間(83週間)連続で“ロウ”の視聴率を大きくリードしたことがあった。  ケビン・ナッシュ&スコット・ホール&ショーン・ウォルトマン(WCWではシックス、WWEではXパック)の元祖ウルフパックのWWE退団―WCW移籍、ハルク・ホーガンのまさかのヒール転向―nWo結成というまったく新しいドラマがブームを巻き起こしたころだ。  WWEとWCWの根本的なちがいは、WWEがマクマホン一家のファミリー・ビジネスであったのに対し、WCWが複合メディア企業のなかの“プロレス事業部”だったことだ。  WWEのオーナーはあくまでもビンス・マクマホンであり、WCWのボスは、それがエリック・ビショフであってもビショフ以外の人物であっても――それが予算・経費を自由に使える“ATM機能”を持っただれかであっても――ポジションそのものは“雇われ社長”でしかなかった。  これこそがWCWという団体が潜在的に抱えていた問題点といってしまえばそれまでのことではあるが、“雇われ社長”のキャストはいくらでも交換可能で、じっさいにWCWの営業成績が下降線をたどるようになると親会社サイドの決裁で“担当”の首は何度もすげ替えられた。  アメリカのマスメディアは1998年から1999年にかけての“露出度”を文化的レベルでのトレンドととらえ、『タイム』誌、『ニューズウィーク』誌、『ローリングストーン』誌、『ピープル』誌、『TVガイド』誌といったメインストリームの活字媒体がWWEとWCWの“月曜TVウォーズ”とその人気の高さを不思議な社会現象として報じた。
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