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「俺、もしかして間違った場所に来ちゃった?」――46歳のバツイチおじさんはヨガの総本山で途方に暮れた〈第37話〉

翌朝5時。起床の合図で電灯がついた。 俺は眠い目をこすりながらなんとか起きた。 どこに行って良いかわからないので、昨日の太っちょを探した。 すると、奴はまだ寝ている。 俺「おーい、朝だよ。起きる時間だよ」 太っちょは無視して寝ている。何度も話しかけるとびっくりした感じで俺を見た。そして――。 太っちょ「俺、今日行かない」 俺「え? だってお前、昨日俺に『気合い入れろ』って行ってたじゃん」 太っちょ「体調が悪い」 俺「嘘つけ、眠いだけだろ?」 太っちょ「このアシュラムは強制はしないんだ。休むことはヨガでも大切なんだ」 俺「行こうぜ!」 太っちょ「寝る」 俺「起きろよ」 太っちょ「寝る。バイバイ」 俺「…………」 どこの世界にも落ちこぼれはいる。どちらかというと俺もそちら側の人間だ。夏休みの宿題はいつも最終日。気持ちはわかるぜ。ただ一つ、太っちょと俺が違うとこ、それは……。 「中高のバスケ部、ついでにテレビのAD時代。どれも超きつかったけど、俺、辞めなかったもんね」 彼と一緒に行くことに見切りをつけ、素早くヨガ着に着替えた。そして、回りの人の流れについて行った。皆サイレントウォーキングの集合場所に向かっているようだ。 集合場所のアシュラムの入り口には20人くらいの白人がたむろっていた。80%が20代の西洋人女性で可愛い娘が多い。少しテンションが上がった。

サイレントウォーキングの集合場所。ヨーロピアンが多い

すると、その中に混じって見覚えのある顔があった。 「るりちゃんだ!!!!!」 俺は心の中でそう叫び、喜びの感情が爆発するのを抑え込んだ。 るりちゃんはちゃんとここに来ていたんだ……。 ヨガ着に着替えたるりちゃんは他のどの白人美女よりも輝いて見えた。 夜明け前の紺色の空の色を彼女の長い髪の毛が吸い込み、妖艶な感じに見えた。 その姿には奇妙な美しさがあった。 俺「るりちゃ……」 俺は彼女の名を呼ぼうとした。 すると、るりちゃんは口元に一本指を立て、「シー」のポーズをして俺を遮った。 そうだ、すでにサイレントウォーキングの修行は始まっている! しゃべることは許されないんだ! 「るりちゃんとおしゃべりしたいのに、しゃべりたくてもしゃべれない。確かにこれは修行だ」 坊主頭で黄色いパステルカラーのTシャツを着た先生から注意事項が言い渡された。 先生「これから朝の修行です。1時間かけて数キロ先の湖まで歩きます。その際、周りの人と話をしてはいけません。なるべくなら他の人と目を合わせないで下さい。あと、この辺の野犬は危険です。野犬が近づきそうになったら逃げてください」 その時、一匹の野犬がこちらのほうに走ってきた。俺はギョッとして身構えた。 先生「この犬だけは大丈夫です」 すると、皆がドッと笑った。 先生「この犬はアシュラムで飼ってる犬で名前はシャンティと言います。シャンティとはヒンディー語で『心の平安』を意味します。この犬がみんなを他の野犬から守ってくれるので安心してください」 るりちゃんの顔を見た。 るりちゃんはすでに修行モードに入っていて、全然目を合わせてくれない。 むしろ、こちらが目を合わせるのを拒んでいるように見えた。 サイレントウォーキングが始まった。先生は足早に黙々と歩いていく。皆、先生に置いて行かれないようついて行く。速度は小走りに近い。道は急勾配の激しい山道で、普段東京でそんなに歩かない俺はついて行くのがやっとだった。 皆が黙って歩く姿が少し異様にも見えた。そして、1時間ほど歩くと森の緑に覆われた美しい湖に到着した。

1時間のサイレントウォーキング。喋っても目を合わせてもいけない孤独な時間

先生「ここが目的地です。これから夜明けの太陽が見えるでしょう。朝日が上がりきるまで各自瞑想をして下さい」 参加者は湖に到着すると、慣れた様子で自分のお気に入りの場所に行き、瞑想を始めた。シャンティはお座りをし、皆の様子を眺めている。

湖の前で瞑想する生徒たち

湖の前でさらに瞑想する生徒たち

刺青を入れた娘も参加

俺は湖の水際に一番近い場所を陣取り瞑想を試みた。 大自然の中の湖のほとりで聞こえるのは、鳥の鳴き声や犬の吠える声ぐらい。 車や町のノイズなど人間の発する音は聞こえない。 静けさのなか1時間ほど瞑想を試みた。の最初のほうは雑念が消えず、たった5分が2時間にも3時間にも感じた。しかし、瞑想にもだいぶ慣れてくると、なんとなくリラックスをしてきたように感じるようになった。そして、ふと「深い沼に片足を突っ込んだような感覚」に陥った。 「あれ? なんだか少し気持ちがいいぞ」 そのまましばらく瞑想を続けた。 すると、目を閉じた瞼の向こうが少し明るくなってきたように感じた。 ふと目を開けてみる。 次の瞬間、目の中に後光のような光が差し込んできた。湖から昇る朝日だ。 「きれい」 無意識に、乙女のようにそうつぶやいた。 心の中のりゅう子がまた顔を出した。 小さくだが感動した。 大自然の美しさに目を奪われてしまったのだ。 今までにない感覚だった。 「少し感覚が鋭くなったような気がするな」 最近、いろんな「意識高い系の本」で瞑想はいいと書いてある。だが、バラエティーディレクターのもう一人の俺が、その意識の高さを少し小馬鹿にしていた。しかし、実際に大自然の中でやってみると全然違う。 「これが瞑想の力か……」

瞑想をする意識高い系のバツイチおじさん

だが、目を開けると感覚が鋭い乙女のりゅう子はすぐに消えていった。代わりにディレクターとしての観察モードにスイッチが入った。 「周りの人はどうな感じで瞑想しているんだろう? るりちゃんは?」 ある人は何事もなかったかのように瞑想を続けていた。 また、別の人は体育座りをしながらボーっと朝日を眺めていた。 シャンティは前足を組んで眠っていた。 るりちゃんは目をつぶり、真剣に瞑想を続けていた。 朝日に照れされたその姿が一段と可愛かった。 俺は思わずスマホを取り出し彼女の写真を撮った。 撮らずにはいられない衝動が俺を突き動かした。 神聖な瞑想中にスマフォの撮影はさすがにダメだよな、うん……。

瞑想をするるりちゃんを隠し撮り

だが、意外にもスマホで朝日の写真を撮っている人は多く、先生は見て見ぬふりをしていた。インドの山奥のヨガの世界にもスマホという「煩悩」は浸食してきているようだ。まぁ、俺の場合は朝日ではなくるりちゃんを撮ってしまったのだが。 先生「みなさん、瞑想はいかがでしたか。瞑想は一つの場所に視座できればいいんです。ボーっと朝日を眺めていても構いません。自分自身とゆっくり向き合えればそれでいいんです。ただひとつ、みなさんはまだまだ瞑想ができていません。このヨガプログラムを通じて瞑想をする準備段階まで持っていければ、それは一つの成果と捉えていいでしょう」 なるほど、俺がやったのは瞑想ではなく「瞑想するための準備」だったのか。なんだかよくわからないが、瞑想はとにかく奥が深そうだ。 先生「では、ここで一旦解散します。7時30分から朝のティータイムがあります。それまでには帰って来てください」 それから湖に残って続けて瞑想続ける人と立ち上がって帰る準備をする人に分かれた。よし、やっと自由行動ができる。 「るりちゃんと一緒に帰りたい!」 また乙女のりゅう子が顔を出した。バルカラビーチで恋の相談を受けてから、るりちゃんとは一度もお喋りしていない。46歳のおじさんが頑張って一人でヨガアシュラムに入門したのだ。正直、るりちゃんに少しだけでも褒めてもらいたかった。俺はるりちゃんのもとへ駆け寄った。 俺「るりちゃん…」 すると、るりちゃんはまたしても口元に一本指を立て、「シー」のポーズをした。 そして、俺と目を合わさずに一人で来た道を戻って行った。
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「えっ…………」
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