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ビンス・マクマホンのXFLにアメリカじゅうのメディアが大騒ぎ――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第333回(2001年編)

プレーステーション3“XFL”ゲーム・ジャケット

ビンス・マクマホンのもうひとつの野望、新プロフットボール・リーグXFLが2001年2月、ついに開幕したが…(写真はプレーステーション3“XFL”ゲーム・ジャケットより)

 ビンス・マクマホンのブレイン・チャイルド、新フットボール・リーグXFL(エクストリーム・フットボール・リーグ)が開幕したのは2001年2月のことだった。

 リーグ所属はロサンゼルス・エクストリーム、シカゴ・エンフォーサーズ、サンフランシスコ・デーモンズ、メンフィス・マニアックス、オーランド・レイジ、バーミングハム・サンダーボルツ、ラスベガス・アウトローズ、ニューヨーク/ニュージャージー・ヒットメンの全8チーム。

 シーズンは2月第1週から4月第1週までの10週間で、公式ゲーム、プレーオフ、チャンピオンシップ・ゲームまで全40試合がラインナップされた。

 基本コンセプトはあくまでも“春のフットボール”だから、NFLの対抗組織という位置づけではなかった。新設8チームの所属選手はNFLヨーロッパ、CFL(カナディアン・フットボール・リーグ)、アメリカとカナダの学生リーグから選出されたプレーヤーたちで、NFL経験者はほとんどいなかった。

 アメリカじゅうのマスメディアは、機関銃をかまえてXFLのキックオフを心待ちにしていた。シーズン開幕をまえにテレビ、新聞、雑誌がこぞってXFLの“危険性”を指摘した。

 それはアメリカの国民的スポーツであるフットボールが悪名高きマクマホン・ファミリーによってプロレス的にデフォルメされてしまうかもしれないことへの警告だった。良識派を自認するスポーツ評論家たちはフットボールのWWE化を危惧した。

 ビンスがXFLをつくろうとした理由はじつにかんたんだった。NFLはシーズンゲームのチケット入手が困難で、しかも料金がものすごく高い。家族全員がいっしょにスタジアムに足を運び、ホットドッグとソーダポップを手にゲームを気軽に楽しむようなスポーツではなくなっていた。

 XFLはフットボールらしいフットボールを体感できる週末の午後を提供するための空間。大切なのは超一流プレーヤーたちのフォーメーション・プレーではなくて、フットボールそのものをエンジョイできる環境づくり、というのがビンスの主張だった。

 チケット代は低価格で、XFL所属選手の平均年俸も5万ドル(約550万円)から10万ドル(約1100万円)の“低予算”に設定されていた。

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TVショーとしてのXFLは、WWE的なアプローチだった

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