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ホーガンがWCW電撃退団――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第330回(2000年編)

WCWオフィシャル・マガジン2000年2月号表紙

“月曜TVウォーズ”のキーパーソンだったハルク・ホーガンは、“新首脳”ビンス・ルッソー・プロデューサーとの決定的な亀裂から2000年7月、6年間在籍したWCW脱退を決意した(写真はWCWオフィシャル・マガジン2000年2月号表紙より)

 ハルク・ホーガンがWCW脱退を表明したのは2000年7月9日。WCWのPPV“バッシュ・アット・ザ・ビーチ”(フロリダ州デイトナビーチ、オーシャン・センター)が開催された日のできごとだった。

 ホーガンとエグゼクティブ・プロデューサーのビンス・ルッソーのあいだに決定的な亀裂が生じた。そして、WCW内部の権力闘争のウミがいっきに噴出し、その異様なムードが観客に伝わってしまった(伝えてしまった)。

 “伏線”は同年4月からスタートを切った“マンデー・ナイトロ”の新路線だった。ビンス・ルッソーとエリック・ビショフの新首脳コンビがNB派閥(ニューブラッド)を結成し、ゴールドバーグのまさかのヒール転向を“演出”した。

 この時点での“ナイトロ”の基本レイアウトは、NB派閥とMC派閥(ミリオネアー・クラブ)の権力闘争。MC派閥の主力メンバーはホーガン、スティング、ケビン・ナッシュ、レックス・ルーガー、ダイヤモンド・ダラス・ペイジといった顔ぶれで、大御所リック・フレアーも心情的にはMC派閥寄りという立ち位置になっていた。

 “ナイトロ”の番組視聴率の急激な落ち込みという問題を抱えていたWCWは、とにかくなりふりかまわぬソープオペラ路線を盲進していった。

 6.12“ナイトロ”リッチモンド大会でルッソー&ビショフの新首脳コンビが画策したエピソードは、フレアーのご自慢の金髪を電気バリカンで剃り上げ(丸坊主)にしてしまうという信じられないような“ショック療法”だった。

 フレアーの“断髪”に視聴者が下した審判は3.2パーセント/2.8パーセント(1時間ごとの平均視聴率)。同日オンエア分のWWE“ロウ・イズ・ウォー”の平均視聴率は6.3パーセント/7.3パーセント。いちど離れてしまった視聴者の“目”はそうかんたんには取り戻すことはできなかった。

 新首脳コンビ&NB派閥が次なるターゲットとして狙いを定めたのは、どうやらホーガンだった。

 7.9PPV“バッシュ・アット・ザ・ビーチ”のダブル・メインイベントは、WCW世界ヘビー級王者ジェフ・ジャレットにホーガンが挑戦した同タイトルマッチとゴールドバーグ対ケビンナッシュの――ナッシュが勝てばスコット・ホールのWCW復帰が認められるという“条件”がつけられた――シングルマッチの2試合。

 ジャレット対ホーガンのタイトルマッチで起きた異変とその物理的な状況をかんたんにまとめるとこうなる。

(1)試合開始のゴングと同時にジャレットがリングのまんなかで大の字に寝そべった。(2)リングサイドにルッソー・プロデューサーが現れ、“フレアー・モデル”のチャンピオンベルトをリング内に投げ込んだ。そして(3)まったく試合をする気がないジャレットをホーガンが立ったまま片足でフォール。(4)レフェリーは試合終了のゴングを要請した。

 結果的に、ホーガンは闘わずしてWCW世界王座を奪回。観客不在の“権力闘争”の図式だけが浮かび上がった。

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試合終了のゴングが鳴ると…

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