ターナー社がWCW“身売り”を模索――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第331回(2000年編)
WWEが“WCW買収”に向けて動きだした、というウワサが流れはじめたのは2000年9月。厳密にいえば、ターナー・エンターテインメント社のグループ企業のひとつであるWCW(ワールド・チャンピオンシップ・レスリング)の“身売り”が確実となり、WWEはこの時点ではその“売却先”の有力候補のひとつだった。
WWEとWCWはいうまでもなくアメリカのプロレス界の2大メジャーリーグで、WWEによるライバル団体の買収-吸収合併はそのままレスリング・ビジネス全体の独占市場化を意味していた。
WWEもWCWもこの“大型合併”に関してはメディア向けの公式コメントをいっさい発表していなかった。
アメリカ国内のいくつかの地方新聞、一部の経済誌、ネット上の媒体(ニュースサイト)がありとあらゆるぶつ切れの情報を量産・配信するという状況が数カ月間にわたりつづいていた。
WCWの買収に――あくまでも水面下で――動いていたのは、WWEとラスベガスに本社を置くマンダレー・スポーツ・アンド・エンターテインメント社(以下マンダレー社)の2法人だった。
WCWのフロント業務からも“マンデー・ナイトロ”の画面からもフェードアウトしていたエリック・ビショフ前副社長は、いつのまにかマンダレー社のエグゼクティブ・コンサルタントというポジションにおさまっていた。
ターナー・エンターテインメント社サイドは“赤字部門”となったWCWの早期売却を強く希望し、マンダレー社はWCWのブランド名、PPV放映権、マーチャンダイズ(映像を含むプロレス関連商品の製作・販売、版権・著作権・知的所有権の保有とその管理)の市場性の高さに興味を示していた。
ビショフを窓口とするマンダレー社とターナー・エンターテインメント社のネゴシエーションにビンス・マクマホンが「待った!」をかけたかどうかはさだかではない。WWEによるターナー・エンターテインメント社への“提示額”はマンダレー社のそれをはるかにしのぐものだったといわれている。
ビンスが本気でWCW買収プランに着手した段階で、ターナー・エンターテインメント社もこの吸収合併案にいっきに傾いたとされる。
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