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スノーボード ショーン・ホワイトがレジェンドと呼ばれる理由――難病を克服、スポンサー契約ウン億円…

 2018冬季オリンピック、スノーボード男子ハーフパイプにて、平野歩夢選手が銀メダルを獲得した。他のライダーが真似できない、「フロントサイド・ダブルコーク1440」と「キャブダブルコーク1440」の連続技を決めた2走目時点で首位。彼につけられた95.25点という得点は、相対評価の採点方式である競技において、満点に近い。実際、100点をとっていてもおかしくないクオリティだった。次の競技者がショーン・ホワイトでなければ。  相対評価のジャッジでは、競技者が残っている以上、点数に遊び、余剰分を残すのがセオリー。先行してパフォーマンスしたAに100点を与えてしまうと、後続のBがどれだけ素晴らしくともA以上の点数はつけられないためだ。平野選手の後に滑るショーン・ホワイトは、長きに渡って数々の大会で頂点に立ち、今年の1月にはアメリカ開催のワールドカップで100点満点を叩き出した実績まで持つ。まさにレジェンドであり、五輪の審判員たちが“平野以上の点数”を見込むに相応しい人物であった。
ショーン・ホワイト

左から、平野歩夢、ショーン・ホワイト、スコッティ・ジェームス(JMPA代表撮影)

ショーン・ホワイトが“レジェンド”と呼ばれる理由

――1986年9月3日、カリフォルニア州サンディエゴで生まれたショーン・ホワイト。幼い頃より西海岸っ子らしくスケートボードに親しみ、スノーボードを始めたのは6歳から。そして、わずか7歳でアマチュアの大会に出場すると、12歳以下のカテゴリーで優勝。天才少年として知られるように。ちなみに、彼は先天性心疾患のファロー四徴症が生後3か月で見つかり、2度も手術を受けている。2連覇となったバンクーバーオリンピック後には、かつて世話になった小児病院に自ら報告し、幼くして病に苦しむ子どもとその家族を励ましたそうだ。  スノーボードの起源は1960年代とされるが、一般に普及したのは’90年代。スケボーブームと相まって爆発的に成長し、特にヨーロッパとアメリカでは大規模なトーナメントが開催されるようになる。代表といえるのが「Xゲームズ」。スノーボードだけでなく、BMXやスケボー、スキーなど、人気の高いエクストリームスポーツを扱う、夏冬の年2回開かれる大会だ。世界中から注目され、ストリートカルチャーを愛する若者にとっては、オリンピックやワールドカップ以上に価値のあるイベントとなっている。開催時期の近いW杯を辞退し、Xゲームズに絞って出場するスノーボーダーがいるほど。  このビッグタイトルが熟成を迎えた2000年代、ショーンは圧倒的な強さで輝いた。13歳で世界屈指のスノボーメーカー、バートン・スノーボードとプロ契約を結ぶと、’03年のUSオープンでは史上最年少で優勝。Xゲームズでも ‘02年冬の銀メダル2つを皮切りに、毎年のように表彰台へ。今までに金メダルだけで15個も獲得している。また、スケーターとしても一流の活躍を見せ、夏と冬の両方を制覇した初の選手となった。  日本以上にスノボーカルチャーが浸透している欧米の若者にとって、憧れのXゲームズを制したショーンはG.O.A.T.(Greatest of All Time)の1人。要するに、バスケットボールの神様と呼ばれるマイケル・ジョーダンに匹敵するカリスマなわけだ。当然、影響力は非常に強く、大会賞金以外にも莫大なスポンサー収入があるとされている。バートンだけでなく、アメリカ第5位の売上げを誇るターゲット・コーポレーションや、エクストリーム系の人気ファッションブランドであるボルコム、エナジードリンクの代名詞レッドブルなど、複数の大企業が彼をサポート。諸々含め、一説には年収11億を超えるとか。
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