ケビン・ナッシュ&スコット・ホール&ショーン・ウォルトマン まぼろしのユニット“ウルフパック”――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第84話>
ナッシュとマイケルズ、ホール、ウォルトマンの4人は、全米ツアー中は空港―アリーナ―ホテルへのレンタカーでの移動からジムでのトレーニング、試合後の遅い食事までつねに行動をともにする仲よしグループとなり、これに新顔のハンター・ハースト・ヘルムスリー(トリプルH=1995年5月、WWEと契約)が合流し、この5人組は“クリックKliq”(語源はClique=派閥)と名づけられた。
同世代のブレット・ハートは徒党を組むことを嫌ったが、“クリック”はいつも5人がワンセットになってビンス・マクマホンとの折衝を試みた。
ホーガンがいなくなったバックステージはビンスと選手グループの距離を近づけ、ビンスはホーガンよりも若い世代の選手たちの意見にも耳を傾けるようになった。
ホールとマイケルズは“レッスルマニア10”での“伝説のラダー・マッチ”(1994年3月20日=マディソン・スクウェア・ガーデン)でその発言力を強めた。
ディーゼル(ナッシュ)は“ワンポイント・リリーフ”のボブ・バックランドを下してWWE世界ヘビー級王座を獲得(1994年11月26日=マディソン・スクウェア・ガーデン)。
ホールはこの間、インターコンチネンタル王座を通算4回保持。翌年の“レッスルマニア11”(1995年4月2日=コネティカット州ハートフォード)ではディーゼル対マイケルズのタイトルマッチがメインイベントにラインナップされた。
“クリック”の5人組はリング上で“軍団”を演じるよりも、おたがいが敵と味方に分かれて闘いつつメインイベントのポジションとチャンピオンベルトを独占してしまうことがこのグループの発言力、影響力を絶対的なものにすると考えた。
WWEの主人公をめぐる“暗闘”は、ブレットとマイケルズのふたりのせめぎ合いになった。それはビンスの決断だった。
ディーゼル(ナッシュ)、レーザー・ラモン(ホール)、123キッド(ウォルトマン)の3人にはライバル団体WCWから引き抜きの手が伸びていた。
“クリック”は、ビンスにはひと言も告げずに最後の最後に自分たちだけのカーテンコールを演出した(1996年5月19日=マディソン・スクウェア・ガーデン)。
メインイベントはマイケルズ対ナッシュの金網マッチで、セミファイナルはホール対トリプルHのシングルマッチだった。
試合終了後、ナッシュ、ホール、マイケルズ、トリプルHの4人(ウォルトマンは首の故障で欠場中)がリング上で抱き合い、別れの握手を交わした。
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