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ケビン・ナッシュ&スコット・ホール&ショーン・ウォルトマン まぼろしのユニット“ウルフパック”――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第84話>

ケビン・ナッシュ&スコット・ホール&ショーン・ウォルトマン まぼろしのユニット“ウルフパック”<第84話>

連載コラム『フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100』第84話は「ケビン・ナッシュ&スコット・ホール&ショーン・ウォルトマン まぼろしのユニット“ウルフパック”」の巻(Illustration By Toshiki Urushidate)

 ケビン・ナッシュとスコット・ホールとショーン・ウォルトマンの3人は、いわゆるタッグチームではなくて、ほんとうの兄弟のように仲がいい親友トリオである。

 ナッシュとホールのふたりは体が大きくて悪知恵もはたらくイジメッ子タイプで、ウォルトマンがフットワークのいいトシの離れた弟分というレイアウトになっていた。

 プロレスのキャリアはスコット・ホールがいちばん長くて、ヒロ・マツダのコーチを受けて1984年10月にフロリダでデビュー。マツダの弟子としてはハルク・ホーガンの後輩、レックス・ルーガーの先輩ということになる。

 ホールはフロリダ、ノースカロライナ、カンザス、AWA、ヨーロッパ、日本(新日本プロレス)、プエルトリコを長期ツアー後、1991年6月、ダイヤモンド・スタッドの新リングネームでWCWと契約。ここでルーキー時代のナッシュと出逢った。

 ケビン・ナッシュはテネシー大時代はバスケットボール(テネシー・ヴォルツ)で活躍し、NCAAトーナメントではスウィート16に進出。NBAプレーヤーをめざしていたが、大学卒業後はヨーロッパ・リーグ(ドイツ)に4年間在籍。

 その後、陸軍に入隊し、ドイツに2年間駐屯。除隊後、1990年にジョージア州アトランタのバーでバウンサーをしていたところをジム・ハードWCW副社長(当時)にスカウトされプロレスの道にすすんだ。

 ナッシュのデビュー当時のリングネームはマスター・ブラスター・スティールで、“魔法の国から来た”オズ、“ラスベガスの用心棒”ビニー・ベガスと何度もキャラクターが変わった。

 ショーン・ウォルトマンは15歳でハイスクールをやめてフロリダの名門スクール“マレンコ道場”に入門。17歳のときに「雪がみたくて」祖父母をたよってミネソタに移り住み、ライトニング・キッドのリングネームでミネアポリスのインディー・シーンで活動。

 1993年3月にオーディションを受け、WWEと契約。月曜夜の全米生中継番組として放映開始したばかりの“マンデーナイト・ロウ”でのデビュー戦でいきなりレーザー・ラモン(ホール)にフォール勝ちを収めた。

 キャノンボール・キッド、カミカゼ・キッドといったいくつかの候補のなかから1‐2‐3キッドというリングネームがつけられた。

 WWEとの契約はホール、ウォルトマン、ナッシュの順だった。ホールは“にせキューバ人”レーザー・ラモンに変身(1992年8月)。ナッシュにはショーン・マイケルズのボディーガード、ディーゼルというキャラクターを与えられた(1993年6月)。

 1992年から1993年にかけてのWWEは、ホーガンが最初の“引退”をアナウンスして映画俳優への転向を模索、ブレット・ハートが初めてWWE世界ヘビー級王者(1992年10月12日=カナダ・サスカッチェワン州サスカトゥーン、リック・フレアーを下して王座獲得)になった世代交代の時代だった。

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