ミック・フォーリー クレイジー・バンプの哲学――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第91話>
プロレスのリングにシュールレアリズム=超現実主義を持ち込んだ特異な存在で、アスリートというよりはアーティスト=芸術家と形容したほうがよりその実像に近い。
カクタス・ジャックCactus Jackのリングネームでデビューし、マンカインドMankind、ドゥード・ラブDude Loveといった架空のキャラクターを演じ、最後に本名のミック・フォーリーに回帰した。
アーティストとしての才能は、すでにハイスクール時代からその片りんをのぞかせていた。フォーリーはホーム・ビデオで自主製作映画“ザ・レジェンド・オブ・フランク・フォーリー”と“ザ・ラブド・ワン”の2作品を監督・主演した。
“ザ・レジェンド――”は好意を抱く女性にフラれ自殺しようとした男が友だちの応援で立ち直るストーリーで、“ザ・ラブド・ワン”はのちのドゥード・ラブのキャラクターのモチーフとなるプロレスラー志望の若者のおはなし。
フォーリーは、クライマックス・シーンで実家(2階建て)の屋根の上から庭に敷いたマットレスに向かいダイビング・ボディープレスを決めた。
この2作めのビデオが元プロレスラーのドミニク・デヌーチの目にとまり、フォーリーはピッツバーグのデヌーチのレスリング・スクールに入門した。
ニューヨーク州北部のコートランド州立大に通っていたフォーリーは、週末だけ“プロレスラーの卵”になった。
大学のほとんどの友だちは成績優秀なフォーリーがプロレスラー志望だということを知らなかった。大学1年のとき、フォーリーがまる1日がかりでヒッチハイクをつづけ、マディソン・スクウェア・ガーデンまでジミー・スヌーカ対“マグニュフィセント”ドン・ムラコの金網マッチを観にいったことはひじょうに有名なエピソードだ。
フォーリーはいわゆる大学の“体育会”系アスリートというわけではなかったし、将来を嘱望された大型ルーキーでもなかった。
最初のリングネームの“ザボテン”ジャックは、ハイスクールのフットボール・コーチをしていた父親のニックネームだった。
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