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いつも同じ馬券を握りしめていた男の、哀しき誤算――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第7話>

洋平さんは、戒めを再び破ろうとしていた

 ある日のこと、また閑散とした東京競馬場へと赴いた。北の方の競馬場において夏競馬が開催中で、東京競馬場は閑散、陽炎とセミの声だけがその存在を誇示していた。いつもの場所へと到着すると、コースケがアメリカのユーチューバーみたいなファッションに身を包んで大騒ぎしていた。 「洋平さんが100万賭けるってトチ狂ってる!」  コースケはそう叫んでいた。それは一大事である。3連単3-4-5を100円しか買わないあの洋平さんが100万円賭けるというのだ。普段に換算すると1万レース分にもなる大勝負だ。  さっそく洋平さんのもとに駆け付けると、本当に洋平さんは100万円の札束を持っていた。そしてそれを3-4-5ではなく、次のレースの大本命馬の単勝に賭けるというのだ。倍率はいまのところ1.7倍、その馬が1着に入れば170万円になって返ってくる。ただし、2着以下ならば全てが無となる。 「どうしてここで100万円なんですか? ずっと3-4-5だったじゃないですか?」  コースケがそう言って詰め寄った。その言葉に洋平さんは歯のない笑顔を見せて笑うだけだった。そしてそのまま100万円の札束をもって馬券売り場へと消えていった。 「また悪い病気がでた」  とても100万円の札束を持っているとは思えないしょぼくれた洋平さんの後ろ姿を見送りながらコースケがそう呟いた。悪い病気とはなんであろうかと話を聞くと、どうやら洋平さん、競馬に大金を賭けることで妻と娘を失った経験があるらしいのだ。  競馬で大金を得るには2通りの方法がある。一つは非現実的な方法で、もう一つは現実的な方法だ。  前者は、倍率の高い組み合わせをちまちま買う方法だ。100円が100万円になるような人気のない組み合わせを買い続け、いつか途方もない幸運が巻き起こるのを待つ方法だ。リスクは低いが、当たることは少ない。そして後者は、かなり確率の高い組み合わせに大金をぶっこむ方法だ。こちらは当たる確率は高いがリスクも高い。  競馬を始めたころは、リスクの低い賭け方をして楽しんでいた洋平さんだったが、たまたま大きな当たりを手にしてしまった。100円が32万円になったという。  それに味を占めた洋平さんは、高額の当たりを追い求めた。しかしながら、リスクの低い買い方は当たればデカいがそうそう当たらない。次第にリスクを負う買い方へと変貌していったようだ。1レースに賭けるお金が数万円になり、10万円に20万円になった。堅いと思う馬になら100万円だって賭けた。  そして、気づけば貯金と妻と娘を失っていた、というわけだ。まあ、よくある話である。 「洋平さんは自分を戒めていたんだ」  コースケはそう言った。開催のない閑散とした東京競馬場にしか来ないのも、3-4-5を100円しか買わないのも、全ては自分に課した戒めだった。競馬に大金を投じ、家族を失った自分への戒めだった。  目の前で馬を見たらまた熱い気持ちが湧き上がって大金を賭けてしまうから。そんな思いもあったのかもしれない。何があったか知らないが、その戒めが破られ、熱い思いが蘇ってきたのだ。そして100万円を賭けるという。彼はまた、何かを失うのかもしれない。
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東京競馬場は日本一有名な墓場だ
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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