ライフ

いつも同じ馬券を握りしめていた男の、哀しき誤算――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第7話>

東京競馬場は日本一有名な墓場だ

 洋平さんは、他競馬場のレースの合間、よく東京競馬場の大欅を眺めていた。  何も走っていない芝コースの3コーナーにある欅を眺めていた。テレビ中継などを見たことがある人なら分かると思うが、東京競馬場のレースでは、レース終盤の最も重要な駆け引きの場面でその視界を遮る大きな大木が映る。これが俗にいう府中の大欅(正確には榎)なのである。 「あれは日本一テレビに映る墓なんだ」  洋平さんはそう言った。調べてみるとどうやらこの欅の下には井田摂津守是政の墓所があり、競馬中継のたびにテレビに映るものだから、日本一テレビに映る墓所と言われているらしい。観戦に邪魔なので伐採しようとするとが、呪いでできない、などと様々な逸話がある樹木だ。  今思うと、洋平さんはその墓所と自分を重ね合わせていたのかもしれない。ここ東京競馬場は洋平さんの墓所だったのかもしれない。だから閑散とした時しか来ないんじゃないだろうか。墓所とはさみしい場所なのである。  洋平さんがヘラヘラ笑いながら戻ってきた。 「100万円買いましたか?」  コースケが訊ねる。洋平さんはいつもの笑顔で馬券を差し出した。そこにはいつもの3連単3-4-5、100円の馬券があった。 「買おうと思ったけど娘にとめられたわ」  洋平さんはまた笑った。前歯の黒い空間すらも笑っているように見えた。彼は思いとどまったのだ。 「安心しましたよ」  コースケがそう言ったのがなんだか印象的だった。  レースが始まった。 「え、うそ?」  コースケが叫んだ。レースの展開的に、3連単3-4-5が十分にあり得そうな感じになってっきたのだ。洋平さんが馬券を強く握りしめる。 「いけー!」  最終コーナー、本当に3番と4番の馬が飛び出した。あとは5番が来れば。いや、5番は最後方だ。さすがにあり得ない。そう思っていると、一気に大外から5番が上がってきた。とんでもない勢いだ。くる! たぶん3-4-5がきたら200万円くらいになる。 「きます、きますよ、洋平さん!」  僕が叫んだ。 「200万、こい!」  コースケ叫んだ。 「いけーーー! さよこーーー!」  洋平さんも叫んだ。  ざわめきと熱気がフロアを包み込む。誰もがモニターに注目した。電光掲示板に結果が表示される。  3-4-5ではなかった。むしろ3-4-5の馬たちは他の馬にまくられ、かすりもしなかった。大本命の馬が普通に勝っただけだった。 「いやー、当たるかと思いましたよ」  コースケがそう言って洋平さんに駆け寄る。洋平さんはまだ興奮が冷めやらないのか、鼻息が荒い。 「いやー当たれば娘も嫁も帰ってきてくれると思ったんだがな」  洋平さんはそう言っていた。僕はその洋平さんの笑顔を見ながら思った。  非常に申し上げにくいが、たぶん当たっても帰ってこないと思う。  洋平さんは娘と妻が帰ってくると信じて、3連単の3-4-5を買い続けていた。大金を賭けたい気持ちを抑えて、自分を戒めながら買い続けていた。でも、それは根本から間違っているのである。  ここにはこういったクズが集まっている。競馬で家族を失い、その戒めとして競馬をしているレベルのクズだ。ここ東京競馬場は日本一有名な墓所なのである。競馬に狂ったおっさんの墓がここにある。ゾンビの如く死んだはずのおっさんどもが徘徊している。だから閑散としている時期に来るべきなのである。 【pato】 テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。ブログ「多目的トイレ」 twitter(@pato_numeri) (ロゴ:マミヤ狂四郎)
テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

1
2
3
おすすめ記事