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喫煙所の“主”の戦いは、抵抗むなしく7時間で終了した――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第32話>

いつか甲斐さんに教えたい、黄金のコウモリのことを

 「もう無理ですよ」  僕の言葉も甲斐さんには届いていないようだった。  「こうなったら籠城だ。撤去の日に喫煙所に籠城してやる!」  なんだか「僕らの7日間戦争」みたいなことを言い出した。そのうち「大人たちはなにもわかってくれない」とか言いそうな雰囲気だ。そんな瞳をしていた。言っとくけど、あんたむちゃくちゃ大人だからな。むちゃくちゃおっさんだからな。  撤去の日、早朝から甲斐さんはアクリル板で仕切られた喫煙所に籠った。 「俺がここにいる限り撤去はできないぞ」  甲斐さんは得意げな顔をしてそう言い、ゴールデンバットを灰皿に押し当てた。ソファにしがみついて抵抗やむなしといった臨戦態勢だ。僕はその光景を少し遠目に見守っていた。撤去にきた当局側と甲斐さんとで激しい争いがあるのではないか、そんな気がしてハラハラしていた。  「いつでもこい!」  そう言って甲斐さんはこれ見よがしにゴールデンバットに火をつけた。  ついに当局と甲斐さんの激しい衝突が始まるっ……! と思ったが当局はこなかった。全然こなかった。 「こないな」  臨戦態勢の甲斐さんを肩透かしするかのように、誰もこなかった。  7時間が経過した。僕も仕事の合間にちょくちょくと様子を見に行っていたのだけど、あいかわらず当局は来ず、アクリル板の中にオラウータンみたいにして甲斐さんがいるだけだった。 「こないですね、撤去」 「署名が効いたのかもな」  それだけはない。4人しか書いてない署名が効くわけがない。 「ちょっとタバコ買ってくるわ、吸いすぎてなくなった」  甲斐さんは気が緩んだのか、職場の前にあるタバコ屋にゴールデンバットを買いに行くと言い出した。そりゃ朝からずっと喫煙所に籠って吸い続けていたらなくなるに決まっている。  甲斐さんが姿を消したその刹那、作業服姿の一団がやってきた。まるで甲斐さんが籠城などしていなかったというナチュラルさで、速やかに厳かに的確に、喫煙所が撤去されていった。アクリル板も、ソファも、灰皿も、綺麗さっぱり消え去った。ここに籠城していた男がいたとは思えないほど、まったくもって平和に喫煙所が消え去った。  空間だけが残った。かつてここには喫煙所があったのだ。なくなってしまうとあっけないものだ。  そこにゴールデンバッドを手にした甲斐さんが鼻歌混じりに帰ってきた。何もない空間を見て、全てを察したようだった。甲斐さんはワナワナと震えていた。 「仕方がないですよ、署名4人じゃ」  僕の言葉に、甲斐さんは笑ってこたえた。 「わかってたさ、いつかこんな日が来るってことはさ」  甲斐さんは目に涙をためながらさらにつづけた。 「俺もさ、タバコばかり吸って仕事なんかしてねえの良くないって思っていた。誰かに止めて欲しかったのかもな。だから、喫煙所がなくなったことは悪いことだけど、悪いことの中でも特別な、意味ある悪いことなのかもな」  そう言ってゴールデンバットの黄緑色のパッケージをこちらに見せてきた。 「バッドな良くないことの中でも特別で金色なバッド、まさにゴールデンバッドさ」  そう言って甲斐さんはまた笑った。その唇にはもう、タバコは咥えられていなかった。僕が見た最後の甲斐さんの姿がその笑顔だった。喫煙所で会わなくなり、そのうち甲斐さんは異動していったのだ。  今でも喫煙所の前を通ると思い出す。ほのかに香るあのタバコの臭いは甲斐さんの思い出だ。  今頃、甲斐さんはどこでなにをしているのだろう、こうしてタバコが悪者として追いやられている現代においても、どこかで変わらずゴールデンバットを吸っている甲斐さんがいるんじゃないか、そんな気がして喫煙所を覗いてしまうのだ。  そして甲斐さんに会えたら言いたいのだ。「喫煙所撤去は特別な悪いこと、まさにゴールデンバッドだ」と吸っている銘柄にかけてかっこよくいっていたが、タバコの方は「ゴールデンバット」だ。  パッケージにコウモリの絵が描いてあることからもわかるように「BAT(コウモリ)」なので「BAD(悪い)」ではない。間違ってるぞ、そう言いたいのだ。  駅のロータリーの喫煙所をみる。灰皿以外にもタバコの吸い殻やゴミが散らかされている。スペースからはみ出してお構いなしに吸う人もいる。そういったマナーの悪さは追いやられた喫煙所をさらに追い詰めることになるだろう。  かつて喫煙所を奪われた身として、そういった行為の果てにゴールデンなバッドが引き起こされないようにして欲しいと思うのだ。 【pato】 テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。ブログ「多目的トイレ」 twitter(@pato_numeri) ロゴ・イラスト/マミヤ狂四郎(@mamiyak46
テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

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