雑学

喫煙所の“主”の戦いは、抵抗むなしく7時間で終了した――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第32話>

 昭和は過ぎ、平成も終わりゆくこの頃。かつて権勢を誇った“おっさん”は、もういない。かといって、エアポートで自撮りを投稿したり、ちょっと気持ちを込めて長いLINEを送ったり、港区ではしゃぐことも許されない。おっさんであること自体が、逃れられない咎なのか。おっさんは一体、何回死ぬべきなのか――伝説のテキストサイト管理人patoが、その狂気の筆致と異端の文才で綴る連載、スタート!

patoの「おっさんは二度死ぬ」【第32話】甲斐さんの7時間戦争

 タバコをやめてもう9年になる。

 さすがに9年もやめていると、タバコを吸いたいなーという気持ちすら生じないものだ。10年以上も狂ったように依存し、タバコを吸わない自分なんて想像できないとまで考えていたのに、いざやめてしまうとあっけないものだ。今となっては吸っている自分の姿のほうが想像できないくらいだ。

 この9年の間にタバコをとりまく状況は大きく変わったように思う。

 値段は倍以上になったし、歩きタバコなんて見かけることがなくなった。稀に見かけたとしても極悪な犯罪者みたいな扱いを受けるだろう。条例で禁止しているところすらある。

 あらゆる交通機関もきっちりと全面禁煙の流れだ。煙の出ない電子タバコみたいなものまで流行しているようで、タバコとは、いつの間にか社会の隅っこに追いやられる存在となっているようだ。

 最寄り駅のバスロータリー近くに喫煙所が存在する。そこを通ると、漏れ出たタバコの煙がほのかに香ることがある。そういったタバコの臭いに嫌悪感を抱くことはない。ただただ「懐かしい」という気持ちが生じるのだ。

 そう、この臭いはやはり喫煙所独特のものなのだ。そう思うと同時に一つの感情が湧き上がってくる。

「喫煙所とはただタバコを吸うためだけの場所ではない」

 ある男のそんな言葉を思い出すのだ。

 タバコを吸っていた当時、つまり9年以上も前になるが、当時の僕は職場の喫煙所に入り浸りだった。トイレの前に少し広いスペースがあって、そこにソファが2つ向かい合う形で置かれており、その中央に大きめの灰皿が置かれていた。

 当時の僕は本当にこの喫煙所に入り浸っていた。30分に1回はタバコ休憩と称してタバコを吸い、10分ほどの時間を過ごしていた。仕事をしている時間は20分だ。単純計算で勤務時間の1/3を過ごしていたことになる。ほとんど仕事をしていないと言っても過言ではない状態だ。

 さすがに、給料を貰う身として1/3喫煙所はまずいなと思いつつも、ある言葉が僕の心を支え、この行為を正当化させていた。
 
「こうやって休憩を取ることで残りの時間、効率良く仕事ができるわけだ。例えば倍の効率で仕事ができると考えたら1/3のタバコ休憩など屁でもないと思わないかね」

 そう言ったのは喫煙所のヌシであった甲斐さんだった。同じフロアにある別の部署で働くおっさんで、喫煙所での雑談が生きがいのような人だった。

 彼は職場の人間関係の裏事情が大好物で、やれ誰と誰ができてるだとか、やれ誰と誰が仲が悪いだとか、そういった下世話な噂話を肴にタバコを吸うのが楽しみだと言っていた。

 甲斐さんは完全に喫煙所のヌシだった。僕が30分に1度のタバコ休憩ならば、甲斐さんは15分に1度くらいの頻度だと豪語していた。15分に1度やってきて10分くらいタバコを吸っていくので、実質的に5分くらいしか仕事をしていない。もはやタバコの合間に仕事をしているレベルだ。

 ある時など、総務の誰々がアナル性感風俗にドはまりしているという、全くニュースバリューのない話題を提供しおえた甲斐さんは「じゃあ、仕事に戻るか」と重い腰を上げた。甲斐さんはゴールデンバットという珍しいタバコを吸っていたのだけど、それを灰皿に押し付け、喫煙所をあとにした。

 かと思ったら、すぐに喫煙所にやってきて、「あれ、なんか忘れものですか?」とたずねると「いや、タバコ休憩」と言い放ち、ゴールデンバットを咥えた。実質的に2秒くらいしかオフィスにいなかったんじゃないか、とんでもないお人だ。とにかくそんな状態だった。

 冷静に考えると、僕と甲斐さんとあと2人、いつも喫煙所にいるのはだいたい4人くらいだった。何人かイレギュラーで来ることはあったが、常連と言えるのは4人だけ、その事実に気が付いたとき漠然とした不安が襲ってきた。

「こんなことが許されていいものなのだろうか?」

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そして、甲斐さんの孤独な戦いが始まった

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