目撃証言にも疑念
――林眞須美死刑囚はこうした鑑定方法を巡って事件当時の鑑定人に対して6500万円の損害賠償請求訴訟を起こしている。鑑定の杜撰さが民事で立証されれば、再審請求に影響する可能性もある。このほか、浩次氏は目撃証言にも疑念を抱いたという。
浩次氏:当時16歳の高校生が残した、事件当日の母が「白のTシャツにクリーム色のズボン、首にタオルを巻いていた」という証言には矛盾がある。僕の記憶では、黒のシャツに黒いズボンでした。母は普段から黒い服を好んだ。常に体形を気にし、痩せて見える黒い服ばかり着ていたことをはっきり覚えている。カレー鍋の見張りをしていた場所に当たる、ガレージの向かいに住む女子高生の発言にしても同様です。
彼女は、「1階のリビングの窓から林のおばちゃんがカレー鍋のフタを取り、中をのぞき込んでいた」と証言した。ただ、後に1階のリビングではなく、2階の寝室の窓から目撃したと証言の内容が変わっているんです。弁護団の調査では、1階の窓からは物理的にガレージの様子は見えないと発表されている。「髪は肩につく長さ」という女子高生の証言も母には当てはまらない。
当時の母は、髪を切りショートカットにして間もなかったから。2人の目撃証言が証拠として頼りないものとわかっていただけるはずです。僕は捜査員や検察官も証言の綻びに気づいていたのでは?と感じざるをえません。この証言者たちが一切法廷に立っていないからです。再審請求に影響があるので詳細は明かせませんが、実はその女子高生は当時の証言を悔いている、とある方から聞いています。本当ならば、ヒ素鑑定に加えて、証言も不正確だったと証明できる可能性があるんです。
――当然、再審請求のハードルは高い。しかし、母の無実を強く信じるようになった影響か、林眞須美死刑囚の態度は変化しつつある。
浩次氏:母とのやり取りは、ここ数年でずいぶん変わりました。昔はアクリル板越しから、「僕ちゃ~ん」と、満面の笑みを浮かべていました。母の中では、僕との時間は子供の頃から止まっていたのでしょう。それでも、最近は「早く結婚しろや! 何でしないん?」と会うたびに聞かれますし、一人の男として接しているようにも感じています。
一度ね、「僕ら4人の子供に対して申し訳ない気持ちはある?」と、結構厳しめの質問をしたことがあるんですよ。そのとき母は、「成長したあんたからそういう質問がくるのが怖かった。昔は子供だったから、ごまかしごまかしで喋ってきたけど」と話しながら、ちょっと目を潤ませたんです。少し前までは、「事件の話はあんたとはしたくない」の一点張りでしたが、最近はよく話すようになっています。
外の世界のこともよく話題に上がります。直近だと内閣改造。もともと自民党支持者で政治好きですから。
死刑はどう思う? 執行されると思う?と聞くと、「今の安倍ちゃんだったらやりかねないね。ちょっと怖いわって」と冗談交じりに話すこともあれば、真剣な口調の時もあります。「悪いことをしてルールを破れば罰は受けるべき。ただ、私はやってないのに殺されるのは嫌だ」と。
――林眞須美死刑囚は事件直後の過熱報道に対して、これまでに400件近い損害賠償請求を起こしてきた。その大半で勝訴して得たお金を年2~3回のペースで子供たちに送金しているという。「せめてもの親心なのかな」と浩次氏は話すが、事件と21年の歳月は仮に無実が立証されるようなことがあっても重くのしかかる。
浩次氏:もし再審で無罪になっても、それぞれの生活もあるので昔のように家族一緒に暮らすのは現実的に難しい。世間からすれば限りなく黒に近いグレーという認識を払拭しきれないし。それでも母と父と僕で、喫茶店でアイスコーヒーくらいは飲みたい。
――カレー事件は解決したといえるのか? 再検証が望まれる。
▼ヒ素鑑定を実施した和歌山科捜研で’12年に不祥事
’12年12月、和歌山県警は科捜研の男性主任が証拠品の鑑定結果を捏造したとして、有印公文書偽造などの容疑で書類送検。停職3か月の懲戒処分を下した。実は、この男性は’95年に入所し、カレー事件のヒ素鑑定にも携わった人物。カレー事件の捏造は否定したが、一連の捜査では’98年以降、さまざまな事件の鑑定で捏造が確認されている
取材・文/栗田シメイ 撮影/加藤 慶
※週刊SPA!10月21日発売号より