更新日:2023年04月27日 10:02
ライフ

ブラジルに残された古き良き“日本の街” 鳥居、提灯、床屋が街のそこかしこに…

日本移民の歴史

 1908年に日本からブラジルに第一回移民が開始、戦後もそれが続いた。日本移民の方々はサンパウロ州、パラナ州、アマゾン地域など各地に散らばった。当時のサンパウロはそれほど大きくはなかったが、中心的な場所に日本人が経営する旅館が出来たことで自然と日本人が集まり、やがて住む人も増えたという。それに伴い様々な店が誕生し、結果、その拠点になった。最盛期には美空ひばりがコンサートでやってきたこともあったという。  現在、47都道府県の県人会がリベルダージやその周辺にある。時が経ち、今は一世がいなくなった。二世は日本語がわかるが、三世となれば話せない人も多いのでポルトガル語で会議をしている現状とのことだ。  かつて若い時にリベルダージを歩いていた旅人は日系人の爺さんにこう怒鳴られた。 「サンダルなんかでリベルダージを歩くんではない!」  日本人としての誇りがうかがえる。かつて日本から来た移民たちはサントスの港に降りると皆、正装に着替えていたそうだ。よそ様の国に来るのに変な格好では失礼という考えがあったらしい。もしも日本移民に興味をもったらぜひ「日本移民資料館」を訪れてもらいたい。日本移民の歴史を詳しく知ることができるだろう。  

時は流れ、変わりゆく街…

飯

日系パレスホテルの朝食。納豆、みそ汁が嬉しい

 10年ぐらい前から街の状況が変わっていった。お年寄りが亡くなり、住んでいた日本人が他に移り始めた。土地の値段も上がり、家賃が上昇した。  これまで安く提供していた日系ペンションも経営が立ち行かなくなった。かつて南米を放浪していた旅人の多くがリベルダージに宿をとっていたが、こうして溜まり場もなくなっていった。  それに代わって中国と韓国勢が台頭する。土地がどんどん買われ、古いビルは中国や韓国系に刷新された。日系人の最後の砦である日系パレスホテルも経営難から買われそうになったが、日系人の大物が「日本人の最後の砦は死守しないといけない」と購入したそうだ。  日系パレスホテルに筆者も泊まったが、建物はかなり古くなっているが、日本人や日系人が大勢泊まっているし、浴槽も深いので風呂に浸かって疲れを癒すことができる。  筆者が訪れた初日、日系人がなにかの催しで集まっていた。そこで婆さんに声をかけてみると、「私はアマゾンに住んでいて、かつてジャングルを開拓していたのよ。今日は用事があってサンパウロに来たの」という。  ホテルの受け付けはもちろん、施設の所々に日本語が書かれている。一階にはカラオケ店も入っていて老人たちが演歌を歌っている。朝食はブラジル式もあるが、ご飯、みそ汁、たくわん、酢の物、みそ汁などが揃えられている。  南米を放浪している旅人はリベルダージにやってきて、久しぶりに日本食にありつく。そして、日本語で会話しながら懐かしい日本の街並みを眺めるのだ。これからもそんな街であり続けて欲しいものだと切に願っている。<取材・文・撮影/嵐よういち>
旅行作家、旅行ジャーナリスト。著書の『ブラックロード』シリーズは10冊を数える。近著に『ウクライナに行ってきました ロシア周辺国をめぐる旅』(彩図社)がある。人生哲学「楽しくなければ人生じゃない」
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