ブラジルに残された古き良き“日本の街” 鳥居、提灯、床屋が街のそこかしこに…
日本からは遠く離れた異国の地、ブラジルのサンパウロに“日本の街”があることをご存知であろうか。かつては“日本人街”と呼ばれていたが、2004年から「東洋人街」と名称が変更された。筆者が実際に訪れてみると、そこには昭和の日本にタイムスリップしたかのような懐かしい光景が残されていたのだ。
地下鉄リベルダージ駅からサンジョアキン駅にかけて広がる大きい区域に東洋人街はある。リベルダージはポルトガル語で「自由」を意味し、かつては黒人奴隷の売買が行われ、刑場があった場所でもある。筆者は今年9月に世界一周旅行の途中で久しぶりに足を運んだが、駅名が「ハポン・リベルダージ」駅に変わっていた。ちなみに、ハポンは「日本」を意味している。
筆者が初めてリベルダージを訪れたのは97年。ペンション荒木という日本人宿に荷をほどいた。当初、ブラジルには行く予定はなかったので、下調べもせず、日系人が多く住んでいるという認識しか持っていなかった。
宿泊者は筆者のようなバックパッカーと現地に住んでいる日系人の半々で、街を歩くと日本レストランや床屋、鳥居、日本の地名がついた「三重県橋」やら「大阪橋」があり、街灯は提灯で日本式庭園まであった。
街の中では日本語が通じるし、道の片隅でお茶を飲みながらくつろぐ日系の爺さん達の姿を目にし、なんだか昔の日本にタイムスリップしたかのような不思議な感覚に陥った。
それだけの理由ではないが、筆者はリベルダージが好きになり、その後何度も通った。拙著の中にもたくさんの出来事を書いたし、2014年には『ブラジル裏の歩き方』(彩図社)も上梓した。現在も鳥居が街の至る所にあり、日本食レストラン、日系ホテル、旅行会社、日本食品の商店は日本から輸入しているものもあるが、現地で作られている醤油、納豆、弁当が販売されており、日本では見たこともないインスタントラーメンや食材が売られている。そのほかにも床屋や美容院、ラーメン屋など、日本と変わらないものが揃う。
また、週末にはリベルダージ駅前で東洋市が開かれ、焼きそば、たこ焼きなどの屋台が立ち並び、盆栽や日本の小物なども売られている。
最近はラーメン屋が増えているようで、何軒か食べてみたが、ブラジル人の舌に合わせて全体的にヌルいものの、味は日本で食べるものとそんなには変わらない。
日本レストランは大きく分けて2種類あり、ブラジル人に合わせたものは味が全体的に濃い目で量が多く、チャーハンは油でベチョベチョ。一方で、日本人に合わせた店は味には問題ないが、値段が高めなことがネックだ。
地球の裏側に残された古き良き日本の街
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旅行作家、旅行ジャーナリスト。著書の『ブラックロード』シリーズは10冊を数える。近著に『ウクライナに行ってきました ロシア周辺国をめぐる旅』(彩図社)がある。人生哲学「楽しくなければ人生じゃない」
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