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『失踪日記』の漫画家・吾妻ひでおさんが逝去。路上生活、アルコール依存…無頼派すぎる「まんが道」

 10月13日、漫画家の吾妻ひでおさんが69歳で逝去。吾妻さんは自身のTwitterで食道がんであることを公表しており、入退院を繰り返しながら闘病していた。2005年に発表した『失踪日記』(イースト・プレス)が同月、イタリアのマンガ賞である「Gran Guinigi賞」を受賞したばかりであり、生涯漫画と共に歩み続けた人物である。
失踪日記

国内で大反響を呼んだ『失踪日記』は、海外でも高く評価された(写真は『失踪日記』表紙より)

 吾妻さんは生涯にわたって美少女キャラクターを描き続けたことで“萌え文化の原点”と評されることもしばしばあり、日本のポップカルチャーの発展に大きく貢献したとされる。  だが一方で、吾妻さんの人生はヒット作に恵まれるも失踪、路上生活、アルコール依存症など波乱に満ちていたのだ。今回はそんな吾妻ひでおさんの歩んだ軌跡を作品と共に振り返りたい。

漫画家デビュー! ヒット作『ふたりと5人』は不服?

 北海道で育った吾妻さんは上京してサラリーマン生活を経験した後、1969年に漫画誌『まんが王』(秋田書店)で『リングサイド・クレイジー』を発表。漫画家デビューを果たす。そして1972年より連載を開始した『ふたりと5人』がヒットし、その名が世に知られることになる。
ふたりと5人

吾妻さんの漫画家人生のなかで最長期間連載された『ふたりと5人』(写真は『ふたりと5人』表紙より)

 『ふたりと5人』の冴えない主人公・おさむは、モテる秘訣を聞くために先輩の下宿に訪れる。そこで出会った美少女に一目ぼれするも、その美少女は容姿が全く同じ女性がほかに4人もいるという設定の“ハレンチコメディ”だ。  この頃は、お色気+ギャグの路線でヒットを狙っていた編集者が主導のもとで原稿を描いていたため、後に吾妻さん自身の武器となるSF的趣向は皆無。自分の持ち味が活かせなかった『ふたりと5人』を本人は不満に思っていたようだ。

SF短編集『不条理日記』でコアなファンを獲得に成功

 不本意だった『ふたりと5人』がヒットしたわけだが、この後に転機が訪れる。1978年、SF小説のパロディを扱った短編集『不条理日記』が、SFファンを中心に大きな話題を呼んだのだ。
不条理日記

『不条理日記』ではSFのパロディを多く扱っていたが、元ネタがわからない読者も楽しめると評判だった(写真は『不条理日記』表紙より)

 斬新な作風がウケた本作により、“不条理ギャグ漫画”という新ジャンルを開拓したひとりとも語られるようになり、漫画界に新たな風を吹き込ませたのである。なお本作は1979年の第10回日本SF大会の星雲賞コミック部門で賞を獲得している。  この時期にマニアの間で“吾妻ブーム”が巻き起こり、『吾妻ひでお大全集』(奇想天外社)が臨時で刊行されるなど人気も上々。当時注目されていた自販機本への参入や、コミックマーケットで美少女同人誌を発行するなどして、メディアの形態にこだわらない精力的な活動を行い、萌え文化シーンにおいても草分け的存在となるのだった。
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『ななこSOS』が大ヒットするが…
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