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女性客の「抱いてほしい」サインに飲み屋のマスターは…

 筆者がアルバイトレディとして働くスナックは男のマスターが切り盛りしている。清水健太郎『失恋レストラン』よろしく、お店では女性客からの「ねえ、マスター」攻勢が毎晩展開される。そこに秘められた女心の打算と胸の内、そしてその感情とどう向き合い立ち回っているのか――スナックのおやじ歴30年のマスターの手腕を覗いてみよう。

第十二夜 マスターの苦悩

 マスターの話をしようと思う。  深く知るほど狂った街で、狂った人間たちをベルトコンベアに乗せて夜から朝へと送り出す最終ゴミ処理場もとい更生施設を長年経営しているうちの店のマスターの話だ。  こんな連載やっていると、まるで筆者のわたしが店の中心にいるかのようだが、とにもかくにもうちの店はマスターがいないとマジで始まらない。わたしなんて、ろくな愛想も振り撒かなければ全く気も利かないし、というか気の利くオンナを演じていると自分自身がうすら寒くなるし、明日にでも雹が降りそうだし、咥え煙草に震える手でいい加減に酒を作りながらせいぜいフードは冷奴とツナサラダぐらいしか作らない。  あとは「お前のボトルはあたしのボトル」みたいな横柄な態度でお客よりも多く酒を飲みながら、気に食わなければ遠慮なくハリセンで叩いたり、ムカついたらビール樽に足のっけて『喧嘩上等』歌ったり、みんなクソだ、神田川に突き落とすぞクソ、とか悲しくなるほどに貧困な語彙で最低な暴言を明け方に吐いているだけで水商売オンナの風上にも置けないし、そんなんだから見事に周りには奇特なレッドデータドМおじさんしか残っていない有様なのである。  わたしと違ってマスターは誰にでも優しい。某大物ライター命名するところの異常性欲者なので女性に対してはもっと優しい(酒乱で奇行の多かったわたしはなんか長いつっぱり棒みたいなのでひっぱたかれて小突き回されていただけで優しくしてもらった記憶は一度もないのでたぶん女性と認識されていなかった)。  彼はちっちゃな頃から悪ガキで、十五で不良と呼ばれてなんちゃら連合で毎晩暴走を繰り返し、近隣住民に騒音をお届けして、時には一日二本しか煙草の吸えない狭いお部屋に留置されていた過去を持っているとは思えないほどに慈愛に満ちた眼を携えて、定休日でも店を開けろと言われれば開けて、大した利益にもならない半ばボランティアみたいな麻雀とかボウリングとかのイベントを年に何回も開催して、毎日毎日酔いつぶれてボロ雑巾みたいになるまで全力で働いている。  見ているだけで涙ちょちょぎれちゃうような立派な人だとわたしは思っていて、身の回りに尊敬する人なんてそんなにたくさんいないけど、結構素直に尊敬している。最近では薄くなってきた頭髪をやたらと気にするあまりに、お客の誰かが『激しい雨』なんか歌った時には一瞬眼光が鋭くなるのが面白い。
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女性客はマスターに「男」を見る
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