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女性客の「抱いてほしい」サインに飲み屋のマスターは…

お客を手玉にとる技術

 面白いのが、マスターから多少そっけない対応をされたり、叱られたりした程度ではお客たちは皆めげないし、相変わらず結局のところマスターを好いているということである。  彼は、「そうすべき」時にそっけない対応をして、何故そんな対応をされたのか相手に考えさせ、叱った後は全力でフォローする。そうやって、店の調和を築いているのだ。そうしで出来上がった調和のとれた空間に、叱られたお客もやがて自分の間違いに気が付く。気が付くよう仕向ける。  界隈で「適当な遊び人」として名高いマスターだが、その実彼の発言や対応は全く適当ではなく、緻密な計算でその相手に合った対応で懐に入り込み、結果全員を手玉に取っている。だいぶ言い方が悪かったが、要は「プロ」なのである。  だから、界隈のあらゆる店を出禁になった人間も、うちの店では出禁にならない。そういうお客たちも、マスターからすれば、出禁にするほど厄介な人間ではなく、扱える程度の人間だからだ。  わたしもかつては客席に座っていた人間だからよくわかるし、酒乱のわたしを突っ張り棒で小突き回していたけれど、わたしにはその対応で合っていたし、そういう粗雑な扱いを受けることが嫌いではないというのが見抜かれていたのだと思うとある意味ゾッとしなくもない(うっかり店員としてカウンターに招き入れたのだけは最大のミスかもしれないが)。  まぁ酒癖に関して言えば、わたしとどっこいなくらい悪いと思うし、明け方絡むし、本質的な「女好き」気質からくる女癖の悪さもあるけど、一緒に働いている立場で見ると、その人非人具合と自分の思った通りに自然に人が動くようゆっくりと楽しみながら矯正していくやり方に引きつつも尊敬できるし、イチお客の立場で見ると、長い目で人を見てくれる異常に懐の深い良いマスターなのである。  たいてい、飲み屋にはそれぞれカラーがあって、お客の性質や傾向が偏るものだが、うちの店には良い意味でそれがない。老若男女、根暗からパリピまで、あらゆる人間が集まる。それは、マスターがどんな人間でも自分のフィールドに引き込む能力と、その人に見合った楽しみを提供するからにほかならない。  思考の過程はどうあれ、懐が深く、どんな人間をも楽しんで見ることができるというのは天性の才能であり、水商売をやるために生まれてきたような人だと思う。飲み屋のマスターとして彼は天才だ。でなければこの怒涛の大都会で三十余年も商売は続かない。  長年の常連客も、新規のお客も、この店のお客はみんなそういうマスターの魅力に取りつかれている(あと、彼は料理が上手いので胃袋も掴まれているお客が多い。抜け目ないね)。  すべて彼の掌で転がされいることをなんとなく知りつつ、望んで、転がされることを喜んで毎夜酒を飲みに来る。そういうことのできる人はなかないない。  夜毎カウンターで隣に立つマスターが、酔っぱらいたちを捌いてゆく姿を眺めつつ、この領域には到底到達できないなぁとわたしは思うのである。  今回記事を書くにあたって「盛大にディスってやるからな!」と心に決めていたのに、よく考えるほどにディスる部分が少なかった。悔しい。ちぇっ。
(おおたにゆきな)福島県出身。第三回『幽』怪談実話コンテストにて優秀賞入選。実話怪談を中心にライターとして活動。お酒と夜の街を愛するスナック勤務。時々怖い話を語ったりもする。ツイッターアカウントは @yukina_otani
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