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世界を股にかけ活躍する空撮カメラマン・徳永克彦の仕事の美学

 世界で数少ない、各国の軍用機に同乗を許可されたカメラマン・徳永克彦。徹底して安全に配慮したその綿密な撮影プランは世界各国の空軍や航空機メーカーから信頼され、40年以上現役で写真を撮り続けている。先ごろ最新写真集『X(エックス)未踏のエンベロープ』(ホビージャパン)を発表した徳永氏に、カメラマンになったきっかけ、これまでの歩み、そして仕事へのこだわりを聞いた。

空を飛ぶのは怖くない?

――これまで弟子入りを志願する人はいましたか?  いました。でも、機体の違いや空中感覚などは経験でしか学べませんし、こればかりは一緒に乗って教えるわけにもいきませんので、なかなか難しいですよね。 ――単純に、空を飛ぶのは怖くないですか?  怖くないです(笑)。ただ、紛争地での撮影だと、タイミングが来るまで7時間ほど上空で待機していたこともあります。目の前には計器もあるし、パイロットとも話せるので退屈はしないですよ。 ――下世話な話ですが、1回の撮影でギャラはどれくらいもらえるのですか。  ケースバイケースです。基本的にメーカーとの契約は1日ごとの計算になります。ですから1日に3回飛んでも4回飛んでも金額は同じ1日分です。パイロットの場合だと飛行した時間で計算されますが、私の場合は違いますね。 ――徳永さんが仕事において最も大切にしていることは何でしょう。  やっぱり「安全」です。結局、日本でも外国でも最終的にはネットワークなので、信頼関係がないと仕事はできないし、信頼関係を築くためには安全面を考慮していないといけない。空撮カメラマンにとって心がけないといけないことは、すごくいい写真をたくさん撮ることではなく、離陸したら安全に降りることなんです。極端な話、写真が一枚も撮れなくても安全に着陸する方が重要だというのが航空界のコンセンサスですから。

空撮カメラマンに必要なことは「無事に生きて帰ること」

――これからも空撮カメラマンという仕事を続けていきますか。  幸い、この年齢になってもいまだに「新しいこと」がいっぱいあるんですよ。新しい仕事、新しい出会い、新しい出来事。パイロット1人とっても個人や国によってメンタリティーが違いますから、飽きることはないです。そういった環境のなかでする仕事は面白いですし、興味は尽きないですね。 ――ずばり、何歳まで?  どうなんでしょう……。現状、各国ごとに随時メディカルや資格を更新しないといけない関係で、2か月に1回はどこかの国で身体検査をしている状態なんです。この仕事は「飛行機」という限定された世界に自分の身体がフィットしないともう飛べないので。ちょっと耳の調子が悪くなったら、自分でいくら大丈夫だと思っていても絶対にダメですから。まぁ、今のところはなんとか(笑)。 ――最後に、空撮カメラマンにとって一番必要なことは何だと思いますか? 「無事に生きて帰ること」です。高速で飛んでいる飛行機と並走して撮影する私たち空撮カメラマンは、自分のこだわりを貫こうとして無理な要求をして、機体やパイロットを危険な目に遭わせたり、最悪、事故を起こしてしまったりしては、まったく意味がありません。現にそうやって命を落としたカメラマンもいました。私はそうならないよう常に細心の注意を払い、与えられた条件の中でベストを尽くせるよう準備することを心がけています。 ――そのほかに大切にしていることはありますか。  “信頼関係”です。結局、私が長くやってこられたのも、常に安全に撮るからだと思っています。なによりも安全を重視し、それに沿ったプログラムを組み、滞りなく行うことで、相手との信頼関係を築き上げてきたつもりですし、これからも同じです。変わることはありません。 【徳永克彦】’57年、東京都生まれ。1978年にアメリカ空軍ロッキードT-33Aに同乗して以来、世界各国の空海軍機の空撮を中心に活動を続けている。高速ジェット機による飛行は2018年に2000時間を超えた。主な活躍の場は海外航空機メーカーの公式写真撮影。これまでに日本、アメリカ、フランス、イタリア、ベルギー、オーストリア、スイス、イギリス、バーレーン、タイ、チリ、ペルーなどで40冊以上の写真集を発刊している 取材・文/中村裕一 撮影/山川修一(本誌)
株式会社ラーニャ代表取締役。ドラマや映画の執筆を行うライター。Twitter⇒@Yuichitter
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