更新日:2021年02月19日 11:39
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モー娘。に青春を捧げた男たち「2ちゃんでの意見交換が最高に楽しかった」

ピストル

ピストル氏「文章に敏感に反応するのがハロヲタの特徴」

睡眠時間を削ってライブレポを書いた

ピストル:「文章に敏感に反応する」というのは、いまだに綿々と続くハロプロファンの特徴だと思う。AKB48や乃木坂46のファンは、そこまで文字に固執しないですから。一方、ももクロ(ももいろクローバーZ)は「Twitter世代のアイドル」というイメージも強いですね。 明大:当時は現場から家に帰ると、ライブレポを必死で書いていたもんなぁ。「俺がやらないでどうする!」という謎の使命感もあったし(笑)。 ピストル:本当に血を流しながら書いていましたよ。あの頃は僕もサラリーマンだったけど、睡眠時間を削りながら書いていた。 劔:「テレホーダイ」と呼ばれる、23時以降は接続し放題のサービスが当時あったんです。だから夜11時になると、「アンテナ」というところに入っているお気に入りサイトを片っ端から回っていましたね ピストル:のちにエイベックスでSUPER☆GiRLSやわーすたを手掛ける樋口竜雄さんも「Ayaya-Style.」というあややのファンサイトを運営していたんですよ。それにでんぱ組.incや虹のコンキスタドールのプロデューサー・もふくちゃん(福嶋麻衣子)も、当時のハロヲタ界隈から出てきた1人。現在、業界の最前線にいる人たちって意外に元モーヲタが多いんですよね。 劔:それでいうと、テレビ局や広告代理店などにも熱心なファンが多いとよく聞きます。当時からのヲタが組織の中で偉い立場になり、ハロプロを唐突に番組やCMで起用するというパターンですよね。もともとハロプロはメディアに強い政治力あるところではないんだけど、業界で力を持ったヲタクの熱心なプッシュがいろいろと盛り上げている気がしています。 明大:あとはライブレポやグループの方向性に言及するだけじゃ飽き足らず、メンバーを題材にした小説を書く人も多かった印象がありますね。あれは今ではほとんど見かけない文化だけど……。 劔:たしかに小説を書く人は多かった! そう考えると、ヲタクの性質も今とはだいぶ違うかもしれない。僕が好きだったのは音源のリミックス。「ムスメタル」というヘヴィメタルとハロプロを融合した音源がネットで話題になっていたんですよ。クオリティが抜群に高くて衝撃を受けましたから。 ピストル:ムスメタルは明確にBABYMETALの先駆けでしょう。マッシュアップという手法を日本に定着させた立役者という言い方もできるかな。
明大劔

「各業界の最前線にいたヲタたちが娘。をプッシュしていた」と語る劔氏と明大店長

メンバーの家族と接近するヲタたち

──でも、そういうものってハロプロを運営するアップフロントエージェンシー(現・アップフロントプロモーション)が認めたものではないですよね。会社には1銭も入らないでしょうし。 明大:その通りなんだけど、当時のモーヲタは会社が公式に提供するものだけじゃ満足できなかったんですよ。今のアイドルファンよりも「能動的に楽しもう」という傾向が強かったので。 劔:僕たちがやっていたハロプロあべの支部もその一環だったけど、これは東京で起こっていたムーブメントの影響があったと思います。ロフトプラスワンで開催されていたトークイベントや爆音娘。(ハロプロ楽曲を流す巨大クラブイベント)の存在を知ったことがきっかけになっているので。 ピストル:事務所からすると、目の上のたんこぶみたいなヲタがたくさんいたと思いますよ。僕は加護亜依が好きだったんですけど、周りの熱狂的な加護ヲタは加護ちゃんの親と仲よくなったりしていたんです。中でも僕が一番すごいと思ったヲタクは、加護ちゃんのおばあちゃんとゴルフ仲間になっていた。もうそこまで入り込んでいたら、家族同然ですよ。単なるヲタクの範疇ではくくれない。 明大:それと当時はごっちん(後藤真希)のお母さんが経営していた『袋田の滝』がヲタの溜まり場になっていましたね。飲んでいると本人が「ただいまー」って感じで現れるから、ものすごい人気スポットでした。福田明日香さんのご家族もスナックを経営していたんだけど、そっちはあまり“聖地”になっていなかったな。 ピストル:それよりは札幌にある紺野あさ美のご両親が経営されているバーが有名だったかもしれない。
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事務所に就職するヲタも
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出版社勤務を経て、フリーのライター/編集者に。エンタメ誌、週刊誌、女性誌、各種Web媒体などで執筆をおこなう。芸能を中心に、貧困や社会問題などの取材も得意としている。著書に『韓流エンタメ日本侵攻戦略』(扶桑社新書)、『アイドルに捧げた青春 アップアップガールズ(仮)の真実』(竹書房)。

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