「夏先生が選ぶ子は必ず入れるように」素人集団だったAKB48、現場を一任された“育ての親”が覚悟を決めた瞬間
ダンス界の巨匠にして、モーニング娘。やAKB48の「育ての親」として知られるダンスプロデューサー、夏まゆみさんが6月21日に逝去した。
夏さんはモーニング娘。の振付を担当するようになると、1999年に発売された大ヒットソング『LOVEマシーン』での振付が話題となり、日本中の老若男女がマネするほどの社会現象を起こした。
その後も数々のヒットソングの振付を担当。そして、2005年12月にデビューし、国民的アイドルへと成長するAKB48の立ち上げにも夏さんは携わることになる。
そこには総合プロデューサーである秋元康さんからの絶大な信頼があった。その信頼の強さは「舞台は夏まゆみに一任する」というひと言に集約されている。
秋元さんのAKB48の構想には「劇場を拠点とするアイドル」というアイデアがあった。当時、専用劇場を持つアイドルというコンセプトは新しく、「会いに行けるアイドル」というキャッチフレーズは画期的なものとしてAKB48の代名詞として世間に広まっていった。
今でこそ秋葉原をはじめとして「劇場を持つアイドル」は増えているが、その劇場文化を「現場」から作り上げたのは夏さんにほかならない。
秋元さんの構想を受けて当時人気を誇っていた福岡のとある劇場に夏さんは足を運び、通うお客さんと劇場との関係など確認。オーディションでメンバーを募集するときには秋元さんのみならず、夏さんの名前も公表して募集が開始された。
1期生として活躍した小嶋陽菜さんは夏さんの訃報の際、「私がAKB48のオーディションを受けようと思ったのは夏先生が携わっていることが大きな理由でした」と述べているように、夏さんはまさにAKB48の立ち上げの中心にいた。
オーディションをはじめた当時、何人のメンバーが選ばれるのか、特に聞かされていなかったという。その当時のことを振り返って夏さんは「『いい子がいたら選んで』と言われていました。秋元さんからほかのスタッフには『夏先生が選ぶ子は必ず入れるように』と言われていたんです」と語っていた。秋元さんから夏さんへの信頼の高さがこうしたエピソードからもうかがえる。そうして、いち早く「努力の才能」を見抜いて前田敦子をセンターに抜擢したのも夏さんの意見によるものだった。
「秋元さんは現場には来ないし、口出しもしなかった」(夏さん)
劇場型というAKB48のコンセプトは秋元さんが決め、現場は夏さん。その役割ははっきりしていたようだ。
AKB48躍進の裏にあった「絶対的な信頼関係」
「夏先生が選ぶ子は必ず入れるように」の指示
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