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お殿様たちの受難。明治になって職を転々、女遊びに逃げた元大名も

藩主自ら脱藩して戦い、戦後は職を転々――林忠崇(請西藩)

「上総国(千葉県)請西藩主・林忠崇は、明治4年(1871年)の廃藩置県後、旧領に戻った。かつて住んでいた立派な陣屋に戻ったわけではない。陣屋は、すでに焼失してしまっていた。忠崇がこの地に移り住んだのは、信じがたいことに、生活に困り果てた結果だった。彼は石渡金四郎という者の離れに住まわせてもらい、一農民として土地を耕し始めたのである」
林忠祟

林忠祟 幕末期 (個人所蔵品、作者不明。パブリックドメイン)

 過激な佐幕派だった忠崇。江戸城無血開城後も新政府への恭順を潔しとしなかった伊庭八郎と人見勝太郎らに協力。自ら70名ほどの家来を引き連れ、遊撃隊と行動をともにする。その際、なんと脱藩届を提出。藩主自らが脱藩届を出すというのは前代未聞の事態だ。 新政府軍への抵抗を続け、東北各地まで転戦するも、戦況が変わることはなく降伏。  親類大名である唐津藩の小笠原家に幽閉され、その後、わずか三百石の家督を相続した弟・忠弘のもとに預けられた。そして、明治5年正月、糊口をしのぐため旧領で帰農したのだ。

藩主だったのに…職を転々

 藩主が食うに困って農業というのは驚きだが、その後の忠崇の職歴がすごい。あまりの“転職”回数なので、以下、箇条書きでまとめると…… 東京府の役人に登用→戊辰戦争の敵国出身の上司と意見が衝突し役人生活終了 商人になろうと函館へ渡り豪商に番頭に→数年後、商店が破産 神奈川県座間市の寺に住み込む→仕事をせず、近所の人とも交わらず、絵を嗜む 大阪府の西区書記として奉職→薄給&多忙さから元家臣に就職口の斡旋をお願いする 元家臣の尽力で華族となり、従五位となる 宮内庁の東宮職庶務課の職員→三年後に病気のために退職。旧領地で療養生活に 健康を回復して日光東照宮の神職に

昭和16年まで生きていた最後の大名

 日光東照宮の神職というのは、徳川家のため藩を捨て、命をかけて戦った忠崇にとっては、納得のいく仕事だっただろう。しかし、それも3年で辞めている。「家の事情」とのことだが、それは、数年後に亡くなる妻の病状が関係しているのではないかと言われている。 波乱万丈すぎる人生。生きていくことの厳しさを思うが、晩年は娘と同居し、大好きな絵と和歌に没頭して悠々自適の生活を送っていたという。 「忠崇は武士の嗜みとして、夜寝るときは決して仰臥せず、心臓を突かれぬよう左を下にして横臥していた。また寝床には常に十手を忍ばせていたとされる。おそらく箱根での戦争や東北戦争での癖が生涯にわたって抜けなかったのだろう。 昭和16年(1941)1月、忠崇は風邪を引いて寝込んだかと思うと、数日後そのまま眠るように逝ってしまった。享年94歳だった。この林忠崇こそが、最後の大名であった」  江戸、明治、大正、昭和を生きた忠崇にしてみたら、「時代」というものは常に止まらない変わりゆくものだったのかもしれない。 殿様は明治をどう生きたのか <文/鈴木靖子 解説引用『殿様は「明治」をどう生きたのか』河合敦・著 扶桑社文庫>歴史研究家・歴史作家・多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。 1965年生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業、早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。歴史書籍の執筆、監修のほか、講演やテレビ出演も。近著に『早わかり日本史』(日本実業出版社)、『逆転した日本史』、『逆転した江戸史』、『殿様は「明治」をどう生きたのか』(扶桑社)、『知ってる?偉人たちのこんな名言』シリーズ(ミネルヴァ書房)など多数。初の小説『窮鼠の一矢』(新泉社)を2017年に上梓
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