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高校中退、アイドル解雇。絶望から天職を見つけるまでの波乱万丈

現実の厳しさに直面、人生を左右する大きな転機

伊藤麻希 その後、なかなか研究生から正規メンバーになれない日々が続いた。 「ルックスがいい子やダンスがうまい子は、すぐに正規メンバーになるんですけど、私はそこで苦労しましたね。周りは3か月でデビューしていたので焦りました。でも“受かるまでやめねえ!”と思って、なんとか半年くらいで正規メンバーには上がれたんです。ただ、アイドルとしては鳴かず飛ばずでしたね……」  LinQで活動していた5年間は、彼女にとっては楽しいことの方が少なかったという。 「最初の頃は、ライブにさえ出られないメンバーだったんです。ライブに出ていないのに、握手会だけ参加して。人気も知名度もなくて、ようやくライブに出られても月1回とかでした」  アイドル活動とはいえ、表舞台にはほとんど出れない。彼女はもがいていた。なかなか光明が見えないなかで、のちの人生を左右する大きな出来事を迎える。  そこで彼女は一躍脚光を浴びることとなったが、その舞台は、プロレスのリング上だったのだ。

「自分はレスラーに向いているのかもな」

 2013年8月13日、DDTプロレスリングの両国国技館大会にゲストで出場した。 「17歳くらいの時に、初めて両国のリングに立って高木さん(CyberFight代表取締役社長、DDT所属のレスラー高木三四郎氏)にヘッドバッドをして有名になったんです。そこから“もしかしたら自分はレスラーに向いているのかもな”って」  そんな実感を得ていると、高木氏から「プロレスをやらないか」という熱烈な申し出があった。伊藤さんの心は揺れていた。 「高木さんからいくら誘われても、レスラーって女を捨てているイメージがあったので、最初は踏み込めなかったんです。その後、何度かDDTにゲスト出演させていただくなかで、お客さんを楽しませることにやりがいを感じるようにもなって。ただ、ゲストはあくまでゲスト扱いなんです。やるならもっとちゃんとやりたいという気持ちが芽生えて。そこで、きちんと“レスラー”になろうと思ったんです」
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アイドルグループをクビに…
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出版社やWeb媒体の編集者を経て、フリーライターに。趣味はプロレス観戦。ライブハウスに通い続けて四半世紀以上。家族で音楽フェスに行くのが幸せ。X(旧Twitter):@rizeneration

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